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サリンジャー『ナインストーリーズ』Part 2

1 :吾輩は名無しである:02/09/17 11:57
前スレは1000を待たずして、容量をオーバーするという快挙(?)
を成し遂げました。
コテハンの方も、名無しの方も、どうぞ気軽にお書き込みくだ
さい。
では、続行ということで。

前スレは
http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/996675874/l50
(合ってます?スレッドをたてるのは初めてなので、少し不安)

2 :吾輩は名無しである:02/09/17 14:16
こんなスレあったんだ。

3 :吾輩は名無しである:02/09/17 19:10
エロイーズ近眼説はどうなったん?

4 :1:02/09/18 21:14
乙カレーと誰かに言って欲しかった。
とりあえず、あげときます。

5 :吾輩は名無しである:02/09/19 16:54
誰か「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」について語ってください。

6 : ◆5q1rMTkE :02/09/19 17:12
「ヨショト氏」という名前にムリがありすぎ。
せめてヨシモトにすればよかったのに。

7 :吾輩は名無しである:02/09/19 18:23
コネチカットのひょこひょこおじさん
コネチカットのよろめきおじさん
コネチカットのひょうきんおじさん

どれが本当?というか好き?

8 :吾輩は名無しである:02/09/19 18:26
「ウイグリおじさん」という訳もあった。

9 :吾輩は名無しである:02/09/19 18:43
コネティカットのなんちゃっておじさんに一票。

10 :吾輩は名無しである:02/09/19 18:47
コネティカットのスケベおじさん。


11 :吾輩は名無しである:02/09/19 19:46
乙彼ーーー>1

12 :1:02/09/20 11:57
わーい、やっと言ってもらえた。
感謝を込めてage

13 :吾輩は名無しである:02/09/22 04:54
今テレビ東京で、ジョディ・フォスターが監督した映画が
やってるんだけど
なんか「テディ」に似ている。天才児のはなしで。
ジョディ・フォスターの愛読書は「フラニーとゾーイー」なんだってね。
サリンジャーの影響受けてる女優さんなのね〜

14 :pont nord:02/09/23 02:11
「「叫びだしたいほど幸せ」って、そんなフレーズあったっけ?」

と思って早速調べてみたら、野崎訳の方に確かにありましたね
「〜突然、とても幸福な気持ちになったんだ
 本当を言うと、大声で叫びたいくらいだったな
 それほど、幸せな気持ちだったんだ」(by 野崎 孝)

でも、「そんな描写があった、という印象ないよなぁ〜」と思って原文の方を見てみると、同じ箇所が以下のように書かれてありました

"I felt so damn happy all of a sudden,
the way old Phoebe kept going around and around.
I was damn near bawling,
I felt so damn happy,if you want to know the truth."

と、なっておりました
肝心の「叫ぶ」という部分は「bawling」という、聞き慣れない単語が使われているのですが、
この単語、「叫ぶ」という意味もあるのですが、米口語では「泣き叫ぶ」という意味があるそうです

つづき

15 :pont nord:02/09/23 02:23
つづき

この後者の意味で読む方が正解なのではないかと僕は思い
ます
yell や yield , cry out ではなく、この bawl という単
語を用いるべき感情だったんだとは思いますが、この言葉
の意味を感覚でつかむ為に、
実は他にもこの単語が出てくる場所があります
(一個しか見つかりませんでしたが、もう一ヶ所あった気
がしたのですが・・・)

それは冒頭、パンシー校の寄宿舎でストラドレーターとケ
ンカするシーンなんですね

「そのきたねえ膝を、俺の胸からどけやがれ」僕はそう言
ってやった
 わめいていたと言った方がいだろうな。本当に」(by
野崎孝、白水社 p70)

これが、原文では以下のようになります

"Get yuor lousy knees off my chest," I told him .
I was almost bawling. I really was."

さて、いかがですか?
やっぱり、「泣き叫ぶ」の方が正しい気がしません?
「涙がこぼれそうで、震えている」といった感じではない
かなぁと思うのですが


16 :pont nord:02/09/23 02:45
>928=607さん(前スレ)
ホールデンはスペンサー先生を愛していると思います
僕はホールデンはゾーイの言う「ふとっちょのおばさん」の概念を、意識せずとも理解していると思うんですよね
そう思って読み直すと、そう思えないですかね?
(う〜む・・・普通は思えんわな)

「ゾーイのフラニーに対する愛情」に関しては、あの小説に書かれているのは、愛情というより「兄弟関係」や「家族関係」だと思うんですね
互いに信頼しあっているからこそ、歯に衣着せず、激しくぶつかりあう、それを裏打ちする「愛情」かな
血縁者や親友同志の間に見られる愛情だと思うので、スペンサー先生のとは違いますよね
ちょっと思うのですが、ゾーイはフラニーのことを、血縁者であり自己の同類と見なしているので、「ふとっちょのおばさん」とは見てませんよね
ある意味特別扱いをしていますよね

>931=607さん(前スレ)
・ホールデンの行く第3の道、それは卑小な生?
その辺は、微妙な難しい話ですね

17 :pont nord:02/09/23 03:31
>929=607さん
・小説という虚構、作者という現実!
この間、「『ライ麦〜』は現実だ!」などと書きましたが、もちろん、小説が虚構であることは大前提です
607さんに言われたことは分かっているつもりですが、それについて、ちょっと違うのですが、村上春樹氏の「ねじまき鳥〜」を読んでいて思い付いたことがあるのです
僕は思ったんですが、

・サリンジャー
小説という「虚構」を通して、「現実」の社会を描く
・村上春樹
小説という「虚構」を通して、現実のパラレルワールドである、作者の「空想世界」の「虚構」を描く

しかし、これに比して春樹ファンは以下のように思っているのではないかなと、想像したんですけど

・サリンジャー
小説という「虚構」を通して、現実のパラレルな「ファンタジー」である「虚構」を描く
・村上春樹
小説という「素敵なおしゃれ媒体」である「虚構」を通して、醜い「現実」を、社会派小説に負けず劣らず、浮き彫りにする

てな具合で
春樹ファンの皆さんは、こう言われると、どう思うのかな?
(冷静に受け取れないなら、黙っていて頂ければ幸いです。僕のような弱小者の一意見など、圧倒的な売り上げ部数を誇る春樹ファンには、気にならないですよね(笑)

両者は正反対だと思うなぁ・・・
(読んでいて、「こういうところを共通点と感じているんだな」と、思うところはあったけどね)
作風も、サリンジャーは春樹氏や、その他多くの邦人作家が好む暗示的比喩表現を、なるべく排除しようとしているように思えるんですよね

>>3
エロイーズ、もし近眼だったら、酔っ払ってキッチンから両手にカクテル持って出てきて、ピストル撃つまねとか、出来ないと思う(笑)出来るかな?
メイドが何を読んでるか、とかも見えないんじゃないの?(笑)

18 :607:02/09/24 12:52
pont nordさん
bawlingについての書き込み、面白く読ませてもらいました。
ただ、bawlingということばのニュアンスとホールデンの「幸福感」は
少しも矛盾しないと思いますよ。
ただもう嬉しいだけの幸福ではなく、喜びと悲しみ、恍惚と苦悩がない
まぜになり、一挙に押し寄せてくるような、そんな幸福、それこそがホー
ルデンにふさわしいように思います。

19 :607:02/09/24 13:01
ホールデンがスペンサー先生を愛しているというのは、やはり
少し言い過ぎのように思います。
敬愛しているなら、そうかもしれないと思いますが・・・

「ふとっちょのオバサマ」の件をホールデンが理解していると
いうのもやはり言い過ぎかと思います。
彼はある意味で哀れな老人であるスペンサー先生にそれなりの敬
意を払っている、そしてそれはいかにもサリンジャー的でもある
わけですが、それが「ふとっちょのオバサマはキリストである」
という認識にまで達するには、やはり『ゾーイ』の物語が必要だっ
たのではないでしょうか。

もし、「ふとっちょのオバサマ」=「キリスト」がホールデンな
り、サリンジャーなりにとって自明のことであるなら、『ライ麦』
の後に『フラニー』や『ゾーイ』を書く必要はなかったのではな
いかと思います。

20 :吾輩は名無しである:02/09/24 13:04
>>17
通りすがりで、初カキコです、横レスですまそ!

>小説という「虚構」を通して、「現実」の社会を描く
のは、サリンジャーも春樹も同じ。手法が違う。
春樹は、フォークナーに近いんだよ。
春樹が虚構世界に創り上げた「現実のパラレルワールド」は、
フォークナーの「ヨハナパトーファー郡」と同じ。


21 :吾輩は名無しである:02/09/24 13:11
春樹場合てセリフとか主人公の動機とかどうみても現実に似せようと
してるとは思えない。ストーリーもかなりご都合主義だし、。
現実の人間のくだらない心理はほんとかかないじゃん。
でも、そのような要素の組み合わせである種の「ゆさぶり」を読者に
あたえるあの感じは現実だ

22 :607:02/09/24 13:15
ゾーイがフラニーに寄せる家族的、兄弟的愛情は、当然ながら、
同類に対する愛情であり、ゾーイがフラニーを「ふとっちょの
オバサマ」と同じように見ているということは、pont nordさん
のいう通り、ありえないことと思います。

サリンジャー的世界にはいくつかの人間のカテゴリーがあり、フ
ラニー、ゾーイ、シーモア、バディなどグラース家の兄弟に代表
される「知的奇形」たち(ホールデンもある意味ではこの部類に
入るかと思います)、その対極にタッパー教授=「気取り屋」がいて、
両者の中間には、聖人ではないけれど、決して「嫌なやつ」では
ない人々がいる。
スペンサー先生は、ホールデンがホテルのバーで出会う田舎からでて
きた娘たちなどと同じく、この第三のカテゴリーに属する人物だと
思います。



23 :607:02/09/24 13:23
そういうカテゴリー化が『フラニーとゾーイ』ではかなり明確
になされていますが、『ライ麦』ではまだ、非情に曖昧なまま
であり、ホールデンの態度もあやふやに見える。
私には、それがホールデンの未熟さに見えるのですが、pont nord
さん式に言うと、そういう単純なカテゴリー化をしないホール
デンの方がフラニーよりも「大人」であるということになるの
かなあという気がします。

24 :吾輩は名無しである:02/10/03 02:41
何度このスレタイをナインインチネイルズと見間違えたことか・・・。

25 : ◆GQgggggggg :02/10/22 05:38
さすがにもう話のネタが出尽くしたようだな。

26 :pont nord:02/10/27 03:46
>>20,>>21
レス、アリガト!

>607さん
・既に『ライ麦〜』において、「ゾーイ」と同じ、「カテゴリー化(非カテゴリー化)」が行われている?

607さんが言う、「人格の3種類の分類」は、確かに「サリンジャーの持つ概念」を考える上で、通過する部分だと思いますが、「サリンジャーの概念(彼の得た真理)」は、さらにその先まで進んでいて、
そこでは、その「3種類のカテゴリー化」の概念が溶解してしまうというか、なくなってしまっていると思います

サリンジャーにとって『ライ麦〜』における、最も重要な読者へのメッセージの一つは、実は僕が「肩透かし」と言った、あのエピローグの部分なのではないかと思います
そこでは、例えば「アリー(いい奴)」対「ストラドレーター(いやな奴)」のような、小説を通して成されていたはずの「カテゴリー化」の壁が、
「懐かしい、会いたい」という思いに現されるように、無くなってしまっていると言えると思います
(もしくは、そもそもそんなカテゴリーなど、ホールデンの中には無かったのかも知れません。僕はそう思うのですが)
これは、そのまま「ゾーイ」のラストの、「ふとっちょのオバさん」の概念と、ほぼ同一の状態なのではないでしょうか?


27 :pont nord:02/10/27 03:51
しかし、両者には607さんの言うように違いもあって、
『ライ麦〜』では、そこに至る過程が(あるとすれば)、むしろ非論理的で、生理的(動物的)、ラジカルなものであるように思うのですが、
「ゾーイ」においては、その過程が兄妹の討論を通して、かなり論理的に、克明に語られているというところです
(それでも多くの人にとっては、なかなか理解しがたく、どちらも非論理的に見えるかも知れませんが(笑)

607さんの考えによれば、この真理(と、言い切ってしまいましょう!)へ至る過程の描き方が、「後者が前者の発展型」ということになるのかもしれませんが、
僕は、「後者は前者をより解りやすく解説したもの」と言いたいと思います

概念自体は、既に『ライ麦〜』に於いて示されていて、「ゾーイ」はその捉え方を変え、より解りやすく提示したものなのではないでしょうか?

確かに「ゾーイ」の方が『ライ麦〜』より、小説としての完成度が上がっていると思うので、僕の言う両者の関係とは、一見、矛盾する気がしますが、
やはり、その「ふとっちょのオバさん」の「概念自体」は、既に『ライ麦〜』の時点で、小説の中でも、作者自身の中においても確立されていたと言えるのだと思います
サリンジャーが『ライ麦〜』の後に「新たな概念」を獲得したという訳ではないと思います
(再確認の作業であったかもしれません。しかし、それを言うと
彼の全ての作品がそれにあたるような気がします)


28 :pont nord:02/10/27 03:59
このように、僕の見地によると、この二つの小説は非常に近しい存在であり、その両者の特徴の比較を行うことは、非常に面白く、興味深いことなのではないかと思います

例えば、僕は両者の真理に至る過程を「生理的(動物的)」と「論理的」と区別しましたが、実はこの両者の関係は、突き詰めていくと、
宇宙物理学などで「理科系学問」が「文科系学問」とクロスオーバーしていくように、「生理的要因を論理的に把握出来るか?」という禅問答のようなものに帰結して行き、
結果、両者は曖昧に融合してしまい、それが逆に『ライ麦〜』と「ゾーイ」が同種の存在であることを示す、というような結論が
出たりすると思います
単純に構造や構成を比較しても、興味深い結果が出ると思いますよ
両者は「原油」と「ガソリン」の関係に近いのかな?
(う〜ん、うまい例えが見つからない・・・)

29 :pont nord:02/10/27 04:03
>>25
いやいや(笑)まだまだナンボでも出まっせ!
ホールデンが、ただ「観客」を必要としたように、pont nordに必要なのは「ツッコミ」です(笑)
知らなかったかもしれませんが、関西人は水と食料があっても「ツッコミ」が無ければ生きていくことが出来ないんですよ(ウソ)
逆を言うと、それが関西人の弱点ということになりますね・・・
(シマッタ!)

(ウソ。テクニックの一つにダウンタウンがよくやる、わざとツッコまずにボケを重ねるというのがあります。
正確にはそれとは違うのですが、シャンプーハットは「ツッコミなし漫才」で西川のりお(!)を唸らせ、某ローカル番組の大会で優勝してメジャーデビューしました(ホント)

30 :pont nord:02/10/27 05:00
くどいようですが、やはりサリンジャー作品を理解する上で、ユーモアのセンスは絶対に不可欠であると感じます
それがないというだけで、作品の全てのあらゆるものを、つかみ損ねてしまう恐れすらあると言える、本当に決定的なものなのではないでしょうか?

「主人公ホールデンの言動や行動が誇張(!)に満ちて偽悪的なまでにどぎついのは〜」(p336,野崎孝氏の解説、白水社)

これを読んだ時、「えっ?誇張に満ちた言動?そんなところあったっけ?」と思ったのですが、
野崎氏の言っているのが、僕の言う「ホールデンのジョーク、ユーモア」であることに気づくのに、暫く時間が掛かりました

ツッコミの無いボケのごとく、ホールデンが自己のユーモアやジョークの解説をするシーンなどは数えるほどしかありません
また、彼は決して、相手が受けて笑いだすのをニコニコしながら待ったりはしません
平常の会話の中でそれは突然現れ、終わるや否や何事もなかったのようにもとの会話が続きます
(それはそのまま、彼のお笑いテクニックの高さを表しています)
ぼんやりしていては、いとも簡単に見逃してしまいます

『ライ麦〜』は、読み手に敏感で高度なツッコミの技能を要求する、「お笑い」の見地からすると、非常にレベルの高い読み物なのです!
(いや、本当に、冗談抜きで。嘘だと思うなら手近のお笑い芸人を捕まえて聞いてみてください(ここがツッコミポイントです!「いや、手近にいね〜よ」くらいでいいです
乗りツッコミをしない場合は素早さが肝心です。
レベルが高くなると、ボケが言い終わる前にツッコんだりします。そのために、今度はボケの方がアイコンタクトをするための、タメを作らなくてはならなくなります
逆に「ツッコまない」という対応も考えられます。冷ややかな黙殺である場合もあるし、ボケにボケをカブせる場合もあります
どうです?一口にお笑いと言っても、なかなか複雑でしょ?)

31 :pont nord:02/10/27 05:39
それというのも、ふと、こんなことを思い付いたからなんです
『ライ麦〜』の文章の中で、ジョークやウィットが表現されていると思われる部分をマーキングし、その全体に対する占有率を調べてみるのです
ワード単位、文章単位、段落単位、ページ単位とカテゴリーを分けて見てみれば意外な結果が出るのではないかと思います
かなり早い段階で5割を越えるのではないでしょうか?
(誰か卒論研究で扱いませんか?某有名サリンジャーサイト管理者のNむらさんに頼んでみましょうか(笑)もう既にアップされていたりして(笑)
もちろんジョークの判断基準に個人差が出ると思うので、人によってまちまちの結果が出るでしょう
しかしそれが、お笑いへの関心を持ってもらうきっかけなってくれればと、僕は思います

ホールデンは(そしてサリンジャーは)かなりの腕を持ったお笑い戦士です
間断なきマシンガントークこそ、最も高度な熟練と技術が要求されるからです
そして、彼にとってそれはなくてはならないものだと思うんですよね(ゾーイの葉巻のごとく)
ホールデンがトイレでタップを踊りまくるのは伊達ではなく、間違いなくサリンジャーには、レスやベッシーと同じ、ボードヴィリアン、エンターティナーの血が流れているのだと思います

そしてここからが文学的なところなんですが、ホールデン(や、その他大勢の登場人物)とジョークとの関係性、その因果関係について考えてみることが必要だと思います
彼はなぜボケなくてはいけないのか?
なぜボケているのが解りにくいのか?
これらを考えることによって、ホールデンの非常に複雑な心理状況の内面が、かいま見えてくることになるのではないかと思います
てなわけで、お笑いの修行が必須となってくるように、僕は思うんですね(笑)
テーマも聖書級に複雑なうえに、お笑いテクニックまでも要求される
いやぁ、本当にハードルの高い、奥の深い文学ですね

32 :吾輩は名無しである:02/10/27 21:47
ラジカルってなぁに?ですか?

33 :吾輩は名無しである:02/10/27 21:48
pont nordって他のスレでは見かけないなぁ

34 :pont nord:02/11/04 01:24
ラジカルって原始的という意味ではなかったかな・・
radicalではなかったっけ・・(辞書を引いてください

サリンジャーのジョークやウィットのレベルの高さに、唸らされたのって僕だけですか?他にいないですかね?
(やっぱり、僕のような「お笑いオタク」でなければ、なかなか注目しづらい部分なんでしょうか?
『ライ麦〜』読みながら、「う〜ん、その「間」、最高」とかいう風につっこみ入れてる人間も、まれでしょうね・・・)



35 :吾輩は名無しである:02/11/08 00:52
ラジカルって原始的って意味か???

36 :吾輩は名無しである:02/11/08 03:17
>34.35
その正反対(w
radical ←→ primitive

37 :吾輩は名無しである:02/11/08 06:31
ぷぷ!映画「ラストで伊豆オブディスコ」中でもクロエセヴィーニちゃんが
サリンジャーにつひての一言。
ロイヤルテネンバウムズやってる恵比寿ガーデンシネマではフラニーとぞーい
売ってるし
爆笑大田は文化祭でサリンジャー一人芝居上演。
このへんが屁理屈じゃない人たちのサリンジャー感?でもこっちのほうが健全。
だって「ライ麦畑についてもう何も言いたくない」ってタイトルセンス・・・


38 :吾輩は名無しである:02/11/09 01:18
『ライ麦畑についてもう何も言いたくない』というタイトルセンス・・・
私は好きですが。
ついでに、爆笑問題太田氏も好きだったりします。

radicalかつprimitiveに続行。
(この2つが反意語だとは思いませんが・・・)

39 :吾輩は名無しである:02/11/09 01:27
>38
>radicalかつprimitiveに続行
ヘーゲル弁証法ですか?

40 :吾輩は名無しである:02/11/09 01:32
rad・i・cal  
 
a. 根本的な; 徹底的な; 過激な, 急進的な; (時にR-) 急進派の; 【植】 根の; 【化】 基の; 【言】 語根の; [[俗]] この上なくすばらしい, 最高にいい. 
− n. 急進主義者; 【化】 基; 【数】 根号 (radical sign) ((√)); 【言】 語根, (漢字の)部首. 
radicalism  
n. 急進論[主義]. 
radicalize 
v. 
radically 
ad. 
radical chic 
(見せかけの)左翼趣味. 


41 :吾輩は名無しである:02/11/09 02:28
音節の切り方が違うんでないの?

42 :吾輩は名無しである:02/11/09 02:29
>>41
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=radical&sw=0

43 :吾輩は名無しである:02/11/09 18:13
そうかあ、rad-i-calになるんだ。
ずっと、ra-di-calだと思ってた。
ありがと。
でも、どうしてそうなるんだろ。

スレに無関係なのでsa-ge(この切り方でいいのか?)
そろそろ本筋に戻りましょうか。

44 :43:02/11/09 19:11
sa-geと書きながら、あげてました。
海より深く反省。


45 :pont nord:02/11/10 00:23
>爆笑太田は学祭でサリンジャー一人芝居
「ゾーイ」って、もともと舞台化(もしくは映像化)されることを前提に書かれたように思いませんか?
「コネチカット〜」をエリア・カザン監督によって、めちゃくちゃに曲解して映画化された辛い過去があるので、
(しかもその映画は大好評!僕も見たけど、ストーリーは監督独自の解釈で変えられ、キャラクターの性格付けも変えられているけど、見終わった時、文句のつけようがありませんでした(笑)
脚本で作品を誤解されることがないように、やたらと即物的な客観描写が目立つと思いませんか?(本人も「これは映画だ」って言ってるしね)
もし舞台化すれば、台詞中心でインテリ受けしそうな、良い舞台劇になるのでは?と想像します
(ゾーイと言い争ってフラニーが泣いてしまうところなどは、なかなか良いシーンになりそうではないですか?しかし最後が「太っちょのおばさん」ではオチませんよね・・・)
爆笑太田さんの目のつけどころは悪くなかったと思うのですが、いかんせん、一人芝居というのが・・・(その孤独な感じは、彼らしく素敵ですが)
きっと漫談調の小噺みたいになったんじゃないスか(笑)

46 :吾輩は名無しである:02/11/10 01:34
爆笑問題太田のサリンジャー独り芝居というのは、具体的にはどの作品を
翻案したんだろう。興味津々。

「コネティカットの・・・」って映画化されてたの?知らなかった。
しかも監督がエリア・カザン?
詳細を教えて。

47 :pont nord:02/11/10 02:18
「ホールデンから一歩遅れて、また追い付いたフラニー?」
〜〜それぞれの『キリスト認識』と『神経衰弱』、そして、歩むべき道〜〜

ホールデン
・教会には行かないが、聖書は読む、カソリック教徒とは異なる独自の解釈〜「イエスはユダを地獄に送らない」
・礼拝堂でこっそり飲酒(一瓶開けても平気!)
・「goddamn」「chrisake」(呪そ)と思わずいってしまう
・「sleep tight! you,all morons!」(お休み!バカ者ども!)と宿舎で泣き叫んだ後、夜の街を放浪
・ニューヨークの街中を通行中、目眩、吐き気、トイレで昏倒
・ホテルのベッドでもうまくお祈りが出来ず、困った時は「アリー」にお祈り
・その後も目的遂行の為、フィービーに会いに行く

フラニー
・子供のころ、「空の鳥」の節でキリストと決別
・大学生になり「イエスの祈り」を唱える
・イエス=ハイジのおじさん、聖アッシジ
・ゾーイの使う「goddamn」「chrisake」(カースワード、呪そ)を非難
・レストランで恋人のエゴに対して抗議、後にトイレで昏倒
・実家に帰り食事拒否、カウチにて「イエスの祈り」続行

両者とも無宗教、無宗派であり、通俗的な固定化されたキリスト認識は持たないが、カースワードに対する態度や、非キリスト教的行為については対照的

つづく

48 :pont nord:02/11/10 02:23
つづき

フラニーが、キリスト像を固定化できずにいるにもかかわらず、「イエスの祈り」に救いを求めるのに対して、ホールデンは独自の見解を持ちながら、救いは尊敬する死んだ弟に求める

家に帰ってきてソファーの上で神経衰弱のつづきを行おうとするフラニーに対して、精神も肉体も疲弊し消耗しながらも、その歩みを止めることのないホールデン、というのも対照的

ゾーイによって、解決と、深く心地よい眠りを与えられたフラニ
ーは、自己の目指すべき演劇の道に向かって、
作家になるべくアントリーニ先生に渡されたメモを持ち続けるホールデンのように「足を止めなく」なる?!

サリンジャーは「フラニーとゾーイ」において、反証法により、『ライ麦〜』で抱いていた概念について、より明確なイメージを持つことが出来たのかも知れません
その点では607さんの「後者は前者の発展」という意見が正しいと言えそうですね

しかし、『ライ麦〜』には primitive(!)な魅力があり、それが「フラニーとゾーイ」にも勝っていると思います
それは『ライ麦〜』の非常に広範な「概念の潜在性」にあるのではないでしょうか?
てなわけで、次回は、両者における、様々な「テーマ」の扱いについて書いてみましょうか・・・

49 :pont nord:02/11/10 02:55
>>46
>爆笑問題、太田の一人芝居〜
僕もよく知りませんが、学生時代に文化祭で「フラニーとゾーイ」をされたらしいです

>「コネチカット〜」、エリア・カザンにより映画化?!
詳しいことは a guide for salinger というサイトの「メディア」の「ヴィジュアル」のページにあります(URLの貼り方がわからん・・・でも検索したらすぐヒットするよ)
映画のタイトルは「My foolish heart(愚かなりし、我が心)」に変えられています

野崎氏の解説にもありましたが、サリンジャーが怒り狂うのも納得で、設定もストーリーも曲解の嵐でありますので、サリンジャー作品の映画化と思って見ない方がよいですよ

ビデオが出ていないらしいので、根気強く、単館レトロ上映や、衛星局での放送等を待つしかないかもね・・・
(ついこの間、NHK-BSでやってたけど)

P.S.
映画といえば、「赤頭巾ちゃん気をつけて」(原作、庄司薫)の映画を、ついこの間、NHK-BSで見ましたね
時代が感じられる、文学的で芸術的な、素敵な映画だと思いましたね(僕はね)

50 :607:02/11/10 14:02
おひさしぶりです。

>「赤頭巾ちゃん気をつけて」の映画・・・
Pont nordさんって、庄司薫、許すまじのひとじゃなかったですか?

私は映画の方は学生時代に、それこそ学園祭で見ました。
随分昔のことなので、細部は忘れてしまいましたが、「原作そのまま
やんけ」となぜか河内弁で(?)思ったのを覚えています。
そうそう、薫くんが自転車をこいている場面で、バックに水前寺清子
の歌が流れた(原作で自転車をこぐリズムと水前寺清子の歌のリズム
がよくマッチするという箇所があった)場面だけが、妙に印象に残っ
ています。

最近、庄司薫の三部作が再版されたようですが、今の読者が読むとど
うなんでしょうね。

51 :607:02/11/10 14:10
>ゾーイによって、解決と、深く心地よい眠りを与えられたフラニ
>ーは、自己の目指すべき演劇の道に向かって、
>作家になるべくアントリーニ先生に渡されたメモを持ち続けるホー
>ルデンのように「足を止めなく」なる?!

?!で終っているので、この話はまだ続くのでしょうが、フラニー
の「心地よい眠り」が果たして彼女の抱えている問題の「解決」た
りうるかどうか、フラニーが演劇の道を、ホールデンが作家の道を
歩むかどうかは、意見の別れるところでしょうね。

フラニーも、ホールデンも物語の最後で、ある種の啓示を受ける訳
ですが、その啓示によって、彼らの人生が変わるかどうかは、テク
ストに書かれていない訳ですから・・・

(ホールデンが啓示によって作家の道を進み、その結果書いたのが
『ライ麦畑』だという解釈は、プルーストみたいでかっこいいので
すが、さて、そこまでオプティミストでいいかというと疑問だった
りもします。)

52 :607:02/11/10 14:14
『フラニーとゾーイ』が映画的・演劇的だというのは、まさに
その通りだと思います。
サリンジャーファンの演劇人なら、一度は、『フラニーとゾーイ』
を舞台にのせたいと思うでしょうね。
ただ、ひとり芝居となると・・・むずかしいかなあ。

個人的には、ひとり芝居というのはあまり好きではありません。
木の実ナナと細川俊之の「ショーガール」とか、昔テレビで放映
していた一話完結のふたり芝居のシリーズ「泣きたい夜もある」
など、ふたり芝居は好きなんですが。

53 :607:02/11/10 14:20
あとひとつ、たんなる思い付きですが・・・
(私の書くことは全部思い付きなので、あえてそんなただしがきを
つけるのも変なのですが・・・)

ホールデンもフラニーも、基本的には、いまの自分の生活に飽き飽
きしながら、決して家出はできない、さすらいの旅には出られない
人間ではないですかね。
彼らは「あちらの世界」にあこがれながら、決して旅立つことはな
い。
彼らが「救い」(?)を求めるのは、アリーであり、フィービであ
り、ゾーイであり、シーモアなんですよね。

情けないといえば情けないのかもしれませんが、個人的には、だか
らこそ彼らに惹かれるのだという気がします。


54 :吾輩は名無しである:02/11/10 15:49
>>45さん
サリンジャー自身が「映画だ」ってコメントしたのですか?
もしそれに言及した文献等ありましたら教えていただけませんでしょうか。
非常に興味があります。

爆笑問題の件、フラニーは、ウィノナ・ライダーも
学生時代に(一人?)芝居でやったことがあるということを聞いたことがあります。
(伝聞なのでソースありません。スマソ。)

僕はこの話を聞いて彼女がとても好きになったので(ギルバートグレープなんて
とてもいい映画です)、最近の醜聞には残念です。

>>pont nordさん
いつも書き込み興味深く読ませてもらってます。とくにホールデンとフラニーの比較、斬新です。
楽しみにしていますので、これからもがんばってください。

55 :吾輩は名無しである:02/11/10 16:19
小谷野敦の「サリンジャーを正しく葬り去るために」で
サリンジャーは葬り去られました。合掌。

56 :pont nord:02/11/17 03:27
まずはお詫びから
>>47に列挙したフラニー、ホールデンの行動について、細かい間違いがあったかも知れません
間違い探しのクイズにするということで、訂正歓迎です

*607さん
>>50
>pont nordって庄司薫、許すまじき!の人では?
その辺は、映画マニアですので、あっさり割り切れます
むしろ、ストーリーとかどうでもよくなっちゃうことも多々あります・・・
ついでに言えば、僕は「人を嫌う」という行為は、非常に自己中心的で自分勝手な行為だと思うので、庄司薫さんのことも「嫌い」ではありません

>水前寺キヨ子の唄〜
その辺の、ちょっとヘンテコな感覚がマニアを唸らせます(笑)
全体に、すごく映像が芸術的で凝っていますね
当時、学生達のあいだで、そのように高い評価を受けていませんでしたか?
映画の話になると僕は止まらないのですが(笑)例えば仲のよい友達がやってきて、ベッドに仰向けになって演説をぶつシーンなどは絶妙でしたね。マニア泣かせなんですよ(笑)
たしかに原作そのままと言えば、そのままなんですが(笑)

>最近、再販された〜
受け入れられるのではないでしょうか?最近、昔のフォークとかニューミュージックとか流行ってるし、最近のファッションって当時のものが廻って来てるでしょ
僕が持ってる「赤頭巾ちゃん〜」は多分それで、作者の「2000年における後書き」っていうのがついてたと思う

57 :pont nord:02/11/17 03:58
*607さん
>>51
>フラニーが演劇の道を歩んだかどうかは疑問
その答はゾーイの今にあるのではないでしょうか?
以前に書いたように、彼はフラニーが通ったのと同じ道を通過してきているのですが、現在も胃潰瘍などの様々な苦しみと闘いながら、それでも役者を続けています

その彼によると、
「神の為に役者をやるなら、くしゃみをしている暇もない。じゃなきゃ、ヨリックのシャレコウベになれないよ」
となるわけです
(ただ、この言葉の意味がわかりにくいですよね。しかし、作品の根幹に関わる重要な部分ですので簡単には説明できません。いずれ僕の解釈も披露するということで・・・)

>ホールデンは将来、作家になるのか?
ホールデン=(ニアリーイコール)サリンジャーと見なし、また彼をただの反抗者ではないキレ者、と考えるとすれば、ホールデンが作家になることは自然に思えます
仮にならなくても、どちらにせよ人生をなげてしまうことはないでしょう
それは、彼の描く現実逃避のイメージ、「おしでつんぼの生活」における積極的で前向きなイメージに表れていると思います

肝心の「ホールデンは、ほぼサリンジャーか?」の命題については、「ライ麦〜」において検証することが可能だと思います
また、いずれ

58 :pont nord:02/11/17 04:29
*607さん
>>52
>ふたり芝居は好きなんですが〜

ふたり芝居、いいですね!
細川俊之と木ノ実ナナ?!文句なしですね!(秀同秀同)

>>53
>おもいつきですが、フラニーもホールデンもあちらの世界に行きたいけど、結局、行く勇気のない二人〜

まさか、「あちらの世界」というのは、あの、綺麗な花がいっぱい咲いていて、渡るのにお金がいると言われることで有名な、あの「川」の、「向こうの世界」のことではないでしょうな(笑)

しかし、「自殺」ということで考えてみれば、フラニーは、したいとか言いながら、出来ないタイプかな?(笑)
でも、ホールデンは普通なら自殺をしたいような精神状態に陥りながら、以前に僕が「逃避をしない存在」と言ったように、無邪気で子供のよう打算がなく、自殺をしようとはしませんよね
ジミー・キャッスルでしたっけ?
いじめっこに抵抗して窓から飛び降り自殺をした少年の行為を好きだと言いますが、彼自身は自殺について、前述した「おしでつんぼの生活」という代替案を持っています
アントリーニ先生が言う「底の無い落下」というのも、自殺へ向かう精神状態のことを指摘しているのだと思います
でも結局、ホールデンはそのメッセージにも、それほど関心を示しません
それは既に、彼が「自殺」という精神状況を乗り越えているからだと思いますが


59 :pont nord:02/11/17 05:15
>>45
>サリンジャー自身が「フラニーとゾーイ」を映画だってコメントしたの?
「ゾーイ」の冒頭に、作者の「前書き」というのがありますよね
そこで「これは小説などでは全然無く、散文による一家の記録映画である」というコメントがあります

僕もウィノナ・ライダーが大好きなんですが、醜聞に関しては、人間、誰でも間違いを犯しますので、我々ファンだけでも彼女のそばにいて、彼女を信用してあげるべきだと思います

「ギルバート・グレイプ」ってジョニー・デップの出世作のことかな?
ウィノナ・ライダー出てたっけ?妹役だったかな?
僕はあの、街に流れてきた恋人役の女の子が好きだったけど、女優の名前が思い出せない・・・
ウィノナと言えば「恋する人魚たち」が大好きだけど、知ってる?

子役時代の彼女には、抜群の魅力があると思うのですが、タイトルは忘れたけど、彼女が小学生くらいの頃に出た映画で、
開いた聖書をかざして、泣きそうになりながら、喧嘩する両親の部屋に仲裁に駆け込んで行く、という印象深いシーンのある映画を観たことがありました
今になって思うと、サリンジャーなんかとの、関連性を感じるんですよね・・・
P.S.これからもがんばります。ありがとう

>>55
>「サリンジャーを正しく葬り去るために?!」
情報ありがとう
でも「〜もうなにも〜」より、こちらのタイトルの方が納得出来ますね
サリンジャー本人も「生まれてすぐに、ガスを嗅がせて死なせるべきだ」と小説の中で言っているように、このような態度の方が、サリンジャーに対する「社会」の姿勢としては健全なのではないかと思います
「葬り去る」べき存在ですよね!(笑)

しかし葬送が完了したのか?
検分してみなくてはなりますまい
大型書店に行ったら、今、置いてるのかな?
場合によっては、父無くしてこの世に生を受けた、あの「神の子」のごとく、「復活」させて進ぜねばなりますまい(笑)

60 :pont nord:02/11/24 03:01
「ゾーイの言う、『神の為に演じる、神の女優』って、どういうこと?」

『ゾーイ』の中で、ゾーイがフラニーに言う、
「神の女優になればいい、神のために演じるんだ。
 こんな素敵なことはないだろう」

という言葉ですが、これは解釈が難しいですよね
一般に、ご都合主義的なキリスト教徒でしかない(笑)、我々日本民族にとっては特に、
この小説の編纂にあたりゾーイがバディに忠告したように、「怪しげな神秘主義」の、きな臭さを感じてしまうのではないでしょうか(笑)

しかしマジメな話、この「神の仕事」という概念は、実はサリンジャーが敬愛し懇意にしたであろう、フィッツジェラルドの「グレート(華麗なる)ギャッツビー」に、既に登場していたんですね
知ってました?

「(筆者要約)ギャッツビーにとって、名前を変え、富裕な生活を送ることは、神の仕事であった。その点において、彼は神の子であった。
その神の仕事の計画はデイジーの登場によって、歯車が狂ってしまうのだが、それでも彼は最後まで、その仕事に忠実であり続けた」
というのが、クライマックス手前のギャッツビーの素性の秘密が明かされるところにあります

つづく

61 :pont nord:02/11/24 03:05
つづき

「夢のような富裕な生活」に対する妄想を、彼があまりにも真摯に渇望したがゆえ、彼はそれを「神の仕事」と言えるまでに高めてしまったわけです
軽蔑すべき存在である筈の彼のことを、最後には「彼は全然、悪くなかった。悪かったのは彼の周りにいた連中だ」と、ニックに言わしめたのは、この事実なのではないかと思います

(え?「デイジーに対する想い」ではないのかって?
 それは違うと想いますよ
 既に再会した時点で二人の気持ちは擦れ違ってしまっているんですね
 ニックは、ギャッツビーのデイジーに対する、恐ろしく空疎な意見、「それは彼女の個人的な問題に過ぎない」を聞いてしまっています
 そして、その言葉は彼の「神の仕事」に端を発しているのではないでしょうか?)

というわけで、名作「ギャッツビー」を通して、「神の仕事」の概念に、間接的に迫ることが出来るのではないかと思います
(しかし、ひょっとしたらサリンジャーを理解するより、ギャッツビーを理解する方が難しかったりして・・・)

個人的には、バディとシーモアの部屋のホワイトボードに書かれていた、バガバッド・ギータの言葉、
「(筆者要約)仕事は、仕事そのものの為にするものであって、それのもたらす結果の為に行うのではない。結果にとらわれてはいけないし、そもそも結果を案ずる権利など端から与えられてはいない!」
と、ほぼ同義かなぁ?なんて思いますけど

僕はこの言葉に非常に感銘を受け、お蔭で自身の行動に対する迷いが無くなりました
(でも、こんな風に言うと、どうしても、神秘主義にイカレてしまったように聞こえるでしょ(笑)まぁ、そう思われる分には、別に問題はないんですが(笑)
「神秘主義にイカレてしまった人間は、決してジョークなど言わない」ことだけは、確認しておきましょうかね!(笑)

62 :607:02/11/24 14:23
Pont nordさん
>まさか、「あちらの世界」というのは、あの、綺麗な花がいっぱい
>咲いていて、渡るのにお金がいると言われることで有名な、あの
>「川」の、「向こうの世界」のことではないでしょうな(笑)

ちがいます、ちがいます。
ホールデンもフラニーも、家出ができる人間ではないというだけの
意味です。
(もちろん、ふたりとも自殺もしないでしょうが・・・)
家出する根性すらないと言えば、随分情けないですが、そこがいい
のだ・・・と、まあ、そういうことです。

63 :607:02/11/24 14:29
「神のために演じる」ということばにどれほど重要性を与えるべきかは
いささか疑問です。
Pont nordさんが引用している「仕事は仕事そのものの為にするもので
あって、それのもたらす結果の為に行うのではない」という意味に解釈
するのが、一番まっとう(?)かと思います。

フラニーは「人に見られたい(これって非常にロマン主義的な態度とい
えるように思います)から、何かをする」ということに憤りを感じてい
る。
そのフラニーに「人に見られるためではなく、神のために仕事をしろ」と
ゾーイは言っているわけです。
これを神秘主義的に解釈するのは、やはり???のように思います。

64 :607:02/11/24 14:35
結局、現在のフラニーにとって大事なのは、何をするかではなく、
何のためにそれをするかではないかと思います。
私には、彼女が演劇にそれほど思い入れをもっているとは思えま
せん。
だから、フラニーが女優になったというPont nordさんの意見には
同意できないのですが・・・

65 :607:02/11/24 14:37
ホールデンが作家になるかどうかについてーー
小説を書く決意で終る小説っていくつかありますよね。
プルーストの『失われた時を求めて』とか、サルトルの『嘔吐』
とか。
でも、このふたつの作品には、文学的創造の効用というか、救済
的あるいは治癒的価値の啓示があるわけです。
ところが『ライ麦』にはそれがない。
ホールデンが受けた啓示は、この世界はそれほど捨てたもので
はないということは教えてくれても、小説を書くことについて
は何も言っていないんですね。


66 :607:02/11/24 14:39
無論、ホールデンという人間を創造する際、サリンジャーが自分
の高校時代を思い出していたことは確かでしょうし、おそらくホー
ルデンはサリンジャーのある部分を下敷きにしていると思います。
しかし、それと、ホールデンが作家になるという話は、全く別問題
かと思います。

『ライ麦』にせよ、『ゾーイ』にせよ、主人公が啓示を受けて、
作家として、あるいは女優として大成しましたという話にしてし
まうと、つまらないと思うんです。
ホールデンもフラニーも、いまのままでは生きていけない。
そんな彼らが、ある啓示、それも天のかなたから来る啓示ではなく、
非常に身近なところからくる啓示をうけ、なんとか生きていける
のではないかと思うようになる。
そういう話だから、面白いのであって、啓示を受けて、芸術家と
して成功するという話なら、われわれ一般読者から遊離した物語
ということになってしまいませんかね。


67 :607:02/11/24 15:10
以前、サリンジャーの世界に登場する人間たちを三種類に分けた
ことがあります。
1) 子供や尼さんに代表される、全く気取りのない人物。
2) タッパー教授に代表される、ひとに見られるために何かをす
  る人物。
3) 1と2の中間に属する俗っぽいけれど、無垢な人物。『ライ麦』
でホテルのバーにあらわれる田舎からきた三人の女や、『ゾー
イ』の「ふとっちょのおばさま」。


68 :607:02/11/24 15:11
では、フラニーは1、2、3のどれに属するのか。
おそらく、フラニーの絶望は、自分自身が一番嫌っている1の人
間になってしまうことではないかと思います。
つまり、最初は舞台で芝居をすることが楽しくて、芝居をしてき
たのが、いつのまにかひとに見られ、賞賛を受けるために芝居を
している自分に気づくーーフラニーはそれが嫌なのでしょう。
(おそらくそこがホールデンとフラニーの最大の違いかと思いま
す。ホールデンはだれそれは「嫌なやつ」だと思いますが、自分
がその「嫌なやつ」の同類になるとはおもっていないようです。)



69 :607:02/11/24 15:13
ゾーイの言う「神のために芝居をする」というのは、1の無垢に
戻ることを意味しているのでしょうが、それが、即、フラニーの
救いになるかどうかは疑問です。
無垢に戻ることができれば苦労はない。
それができないからフラニーはまいっている訳です。

ゾーイの最後のことば(「ふとっちょのおばさまでない人間はいな
い」「ふとっちょのおばさまはキリストである」)は、1、2、3の
区分けそのものを無効にしてしまう。
もしそれが本当なら、フラニーはタッパー教授を憎まなくてもよく
なるし、自分がタッパー教授のようになることを恐れる必要もなく
なる。
だからこそ、「神のために芝居をしろよ」と言われても、救われない
フラニーが、このことばによって(救われたとは言わぬまでも)一
瞬の安らぎをえたように思います。


70 :607:02/11/24 16:47
>>フラニーが演劇の道を歩んだかどうかは疑問
>その答はゾーイの今にあるのではないでしょうか?

これにコメントするのを忘れていました。
ゾーイが演劇の道に進んだことに何か積極的な意義を見い出し、
それがフラニーの救いにもなると思って、薦めているというな
ら、そうも言えるかと思います。
ただ、ゾーイが演劇に救済を見い出しているとはとても思えな
いんですね。

ゾーイは俳優。バディは作家。
シーモアは・・・どうでしたっけ?
あとホールデンの兄さんも作家かな。

ただ、それが何を意味するかというと・・・そのあたりのことは
何もテクストには書かれていないんですよね。
結局、俳優も作家もひとつの職業という意味しかないのじゃない
でしょうか。

71 :607:02/11/24 16:51
ホールデンもフラニーも今日という日をどう生きればいいかわか
らずにいる。
そういう人間に職業を云々しても仕方がないような気がします。
彼らが将来、どのように生きるか、どんな職業につくかは2の次、
3の次。
とりあえず、今日一日を生きられるようにすることが急務であり、
彼らの受ける啓示は、その部分においてのみ有効である。
私はそのように理解しているのですが・・・

72 :吾輩は名無しである:02/12/07 22:08
『バナナフィッシュ』一行目。
広告マンが97人もホテルで何してたのかな。

73 :吾輩は名無しである:02/12/07 23:44
>>72
全米広告マントライアスロンコンテスト

74 :pont nord:02/12/08 05:49
>>72
そういえば、いくらなんでも97人は多すぎるよね
旅行代理店か何かだと思ってたけど、ひょっとして研修旅行か?
なにかのイベントがあった日なのかな・・
え?トライアスロン?(笑)

>607さん
作品に対する印象って、人によって随分違うんですね
翻訳読みすることによって随分変わるとは思うんですが、607さんも原文で読んでますよね
僕のつたない文章力にもよるのでしょうが、なんだか僕の意見もうまく伝わってないようだし・・
僕自身も、核心の内容に触れずに、外堀ばかりなぞるような、まどろっこしい言い方をしてますからね
やはり、サリンジャーの扱う概念は、僕が思った以上に難解なんでしょう
それにサリンジャーは、親切丁寧に解説なんてすることなくて、いつも捻って捻ってジョークで終わりますもんね(笑)

しかし!
大事なのは「意見の一致」ではなく「他者の存在を認める」ことであると思います!
「聞く耳を持つ」ことですよね

てなわけで、もう少し喋ります

75 :pont nord:02/12/08 05:55
「フラニーはそのことを忘れているけど、
 ホールデンとゾーイは『この世の中には美しいものもあ
る』
 ことを知っている」

具体的な場所を示していなかったですね?

・ホールデン
 エージャーズタウンに向かうバスの中から、雪のボール
を作りながら見た、
 一面に雪を被った、夜の町の景色
 多くの子供たちとの出会い
 フィービーに「お兄ちゃんの好きなもの言ってみて?」
と言われて、
 否定されながらも頑として譲らなかった、
 「こうやってフィービーと話をしていること」
 etc...

・ゾーイ
 たまたま窓から覗いた時に見た、ゴッホの絵の赤色と同
じ色の帽子を被った少女と、
 そのペットの犬の遊戯的再会シーン

どちらも「美しいもの」の絶対的存在を示しているのでは
なくて、
彼らは、その存在に気づくことが出来る、ということを示
しています
ゾーイが引用するイエスの言葉
「神の国は俺たちの胸の中にある、それに気づかないのは
、俺たちの想像力が足りないからさ」
なんかも同じかなぁ、なんて思います


76 :pont nord:02/12/08 05:57
フラニーとは逆で、ホールデンやゾーイと同じ側にいるバ
ディーの言葉を借りれば、
「例え、多量に出血しながら、瀕死の状態で道端に倒れて
いても、
 道の向こうから、品物を一杯に積んだ篭を、頭の上で見
事にバランスさせながら、
 歩いてくる女性を見かけたら、どんなに苦しくても肘を
ついて体を起こし、
 彼女たちが無事に坂を越えていくのを見届けなくてはい
けない」
となるのでしょう

フラニーは自身のエゴに関する考えに捕らわれるあまり、このような
一歩ひいて周りを見回す余裕が無くなっているのではないでしょうか
そのあたりは、レーンとの会話にも表れていますよね・・


77 :pont nord:02/12/08 05:59
「ホールデンとゾーイの共通点」

・頻発するカースワード(goddamn, chrissake, etc..ク
ソッ、チキショウメ)
・面白くもないような顔でジョークを連発

等々、同じ異常早熟天才児として(?)、多くの共通点が二
人にはあると、僕などは思うのですが、
前述した「神の仕事」に関しても、実は共通した考えを持
っている(既に持っていた)と思える点があるのです

・ゾーイ
「この近くのどこかに、自分が自動車に牽かれることもな
く、精神科医になれたのは、
 「神の意志」によるものだ、と感じているような医者が
いるような気がするのだが、
 どうしても思い付かない」

・ホールデン
(ストラドレーターに殴られたあと、アックリーにカソリ
ックに改宗する方法を聞いて)
「やっぱりいいよ。どうせ俺なんかが出家したって、「間
違った種類」の僧侶達に囲まれるのがオチさ」


78 :pont nord:02/12/08 06:01
注目すべきは、非常にさりげないのですが、ホールデンの
言う「間違った種類の(wrong kind of)」という言葉です
「マヌケな僧侶」とか「バカ者ども」とかいう、単純な悪
言ではないんですよね

ゾーイは精神科医を「神の意志」によりなったものと、そ
れ以外という風に区別していますが、
ホールデンも、自分に道を教示してくれるべき僧侶につい
て、
「正しい」ものと「間違ったもの」の2種類を、さりげな
く区別してしまっています
実は、全く同じ事だと考えられませんか?


また、以前に僕が指摘した、パンシー校のポスターの嘘に
ついての発言、
「『頭脳明晰にして優秀な生徒を造り上げ、世に輩出する
』なんて嘘っぱちさ。
 ま、二人はいたか。でも、二人じゃどうしようもないだ
ろ」
と同じで、
決して、無責任に人のことを悪く言うのではなく、自分が
否定するものについても、
冷静で公平な洞察を忘れない、彼の性格が現れているとも
思います

そこが、フラニーとは違って、ホールデンが「大人である
」ところではないかなと思いますけど


79 :pont nord:02/12/08 06:04
さて、以下は結構な僕の夢想なんですが(笑)

「primitiveな『ライ麦〜』に対して、より明確化した「
フラニーとゾーイー」という対比、発展」

さて、前述した箇所を、
「ホールデンが既に、ゾーイと同じ「神の仕事」に関する
概念を語っていた」
部分だと考える場合、やはり疑問を感じて引っかかってし
まうのは、
「なぜ、そのような、別の小説において中心的テーマにな
るような概念が、
 そこまであっさり、さりげなく流されてしまっているの
か」
ということだと思います

それに対する僕の考えは、繰り返しになりますが、
・『ライ麦〜』はサリンジャーの作家人生を掛けた渾身の
一作であったから
ということだと思います

結果として『ライ麦〜』は
・種々の概念が垂れ流し状態
・詰め込めるだけ詰め込んだため、パンク状態
・説明不足
であると言えると思うのですが、もう一つ、この状態を生
んだ積極的な要因の一つとして、


80 :pont nord:02/12/08 06:06
「サリンジャーは『ライ麦〜』を現代の「聖書」のような
ものにしようと考えていたからではないか」
と僕は思います
・長期的復読、解析議論に耐えるだけの深い含蓄
を持たせようとしたのではないでしょうか
しかしそのため、『ライ麦〜』は「理解不能な難解文学」
としての側面を持ってしまい、
彼は様々な方面からの「誤解」に囲まれることとなり、結
果、彼の孤独感は一層深まることになったのではないでし
ょうか・・

てなわけで、沈黙し世間を避けて引っ込んでしまったサリ
ンジャーは、
『ライ麦〜』における反省のもと、次回作では、『ライ麦
〜』において示したいくつかの主要な概念について、
クローズアップして、よりわかりやすく示してみようとい
う思いに駆られたのではないでしょうか
しかし、その簡素化の意図に反比例して、書いて書いて書
き続けていた彼の作家としての技術や欲求は、より高度な
ものへと成長しています・・

そのせめぎあいの中で「フラニーとゾーイー」は登場した
のではないでしょうか
これに関しては次回と・・


81 :607:02/12/08 14:58
Pont nordさんは、「作品に対する印象って、人によって随分違うんですね」
と書いておられますが、私自身は、Pont nordさんの考えと私の考えがそ
れほど隔たっているとは思えません。
今回のPont nordさんの書き込みなぞ、私はほぼ全面的に賛成ですから。
(Pont nordさんが引用している箇所を読んで、ひとつひとつの場面が脳
裏によみがえり、「そうそう、そうなんだよね」とひとりごちました。)

ただ、私がこだわったのは次の2点です。
1) ホールデンはフラニーより大人である。
2) 将来、ホールデンは作家に、フラニーは役者になる。



82 :607:02/12/08 14:59
1) について
考えてみると、要は「大人」とは何かという定義の違いかなと思います。
Pont nordさんは、ひとつの考えに凝り固まらず、公平な見方を保てる
ホールデンを大人だと言い、私は、自分がかかえている問題を明確に認
識し、ことばで表現できるフラニーを大人だと言っている、それだけの
違いかなという気がしてきました。

その意味で、『ライ麦』において未整理のまま提示されたテーマを、『フ
ラニーとゾーイ』がクローズアップしているというPont nordさんの考え
に賛成します。
(「よりわかりやすく示そうとした」かどうかは、少し疑問です。私は「よ
り発展させようとした」と言いたくなるのですが、このあたりが私とPont
nordさんの違いーー結局はことばの使い方の違い?ーーなのでしょうね。)


83 :607:02/12/08 15:01
wrong sort of〜についても、同感です。
ホールデンにしろゾーイにしろ、特定の職業がいいとか悪いとか言っている
わけではない。
大切なのは、なんの仕事をするかではなく、なんのためにその仕事をするの
かということなわけです。
だからこそ、私は彼らが作家や役者を特権視しているわけではないと思って
いるのですが、いかがでしょう。


84 :吾輩は名無しである:02/12/13 22:00

フラニーに必要なのはゾーイのたわ言でなく
新鮮な空気だと思う。
グラース家は母親の煙草と兄の葉巻、
そして塗りたてのペンキのにおいで息がつまりそう。


85 :吾輩は名無しである:02/12/13 23:02
>>84
では、母親の作ったチキンスープは必要ない・・・?


86 :pont nord:02/12/16 02:38
>>82=607さん
>「大人」の定義が違うのでは?
おっしゃるとおり
僕は「大人」という言葉を、社会的な意味での「大人」としてではなく、精神的な意味での「大人」として扱っています
社会的立場から見れば、ホールデン君は「大人」どころか、「ワルガキ、クソガキ」ですよね
ホールデンは、ルームメイト達にも、そう罵られていますしね・・

ただ、ホールデン自身は、
「時には、16才よりも遥かに「大人びた」ように振る舞うこともあるんだ」
と、言いますが、
それは、彼のどの行動を示していると、皆さんは思われますかね?
「そんなとこ、ねぇよ」
「電話ごしの低音ボイスで、女を口説くところか?」
「シアトル女を、ダンスにエスコートするところか?」
と、言われる方もいるかも知れませんが(笑)、
僕が注目するのは、彼の「自省心」ですね

小説の最初から最後まで、彼は何度となく、自身の言葉をより正確に言い直す行為を続けますよね
そして、彼の口癖は、「そいつは認めなくちゃいけない、自分に嘘はつけない」なんですね
皮肉ですが、彼はこの言葉を、まるでフラニーの「イエスの祈り」のように唱え続けています


87 :pont nord:02/12/16 02:41
つづき

自分自身の内面にある「エゴ、利己心」といったものと闘った経験をお持ちの方なら、ホールデン君のこれらの行為が、実はどれほど難しいものであるかということが分かると思います
経験の無い人には、さっぱりわからないかも知れませんが、非常に強い精神力が必要だと思います
これが出来るくらいなら、充分、大人と呼んでいいと、僕は思います

そういった、「精神的な強さ、落ち着き」を見て、僕は「大人」であるかどうかを判断していますね
そしてそれは、そのまま「他者への思いやり」に繋がると、僕は思います


ということはですよ、
『ライ麦〜』において、登場人物の性格的「前提」として扱われていたテーマが、「フラニーとゾーイー」で再登場している、ということになりませんか・・?
ここが、僕が「「フラニーとゾーイー」は『ライ麦〜』をよりわかりやすく示したもの」と、考えるところなんですけど・・

それについてもう少し詳しく、話してみましょう

88 :pont nord:02/12/16 03:09
>>83=607さん
>〜作家や役者を特権視しているわけではないと思うのですが、どうでしょうか?

同感です
僕は「神の仕事」について、また、ホールデンが作家になるということについても、その作家や役者という、「職業、職種を選択する」ということこと自体に、
救済や、意味、あるいは癒しがあるとは言っていません

アントリーニ先生も、ゾーイも、バディも、それぞれがその職業を勧めるのは、それが、彼ら個人個人にとっての、天職であると感じているからです
職業を勧めるということについて、この3者3通りが存在するわけですが、皆、「おまえは生まれながらの〜なんだから、〜になるべきだ。いや、いずれなるんだよ」
みたいなことを言ってますよね?
だから、職業(職種)自体はなんでもいいんです
石切り工夫でもいいし、例えば、スーパーのレジ係でも構わないんです

人材の適材適所ということについて、ゾーイが語る場面がありますよね
「まぬけな大学教授でも、一皮剥いてみれば、実は石切り工としては、大変に優秀である、といった場合が少なくないんだ。僕はそういうのを実際に何人か見たことがある」
と言う場面があります
冗談に聞こえますが、完全に冗談ではありません

どの職業を選ぶかではなく、発見した、自分のやるべき仕事に、「どう打ち込むか」ということなんですが、これは、なかなか分かりににくい概念でしょうね
サリンジャー作品には頻繁に登場しているんですけど
また、今度、喋ります

89 :pont nord:02/12/16 03:47
>>87の続きなんですが・・

以前に僕が間違った指摘をしてしまった、「「フラニーとゾーイ」はなぜ、難解か?」についてなんですが、
それについてずっと考えていて、サリンジャー作品のほぼ全てに当てはまるであろう、キーワードを発見しました

「(ほぼ意図的に)省略された『(議論における)高度な前提』」
です

これを行う作者の意図は2つ
・基本的には、いちいち前提を喋るのが、まどろっこしくて面倒だから(作品のテンポが悪くなる、冗長になる)
・(前提の)わかる人だけにわからせたい。(わからない人は入ってくるな!わかる人を、わからない人から守るため?)

発生の要因は
・小説内で扱われる議論、概念(、ジョーク)が、非常に高度なものであるから

ある概念について、それについての一般的な見解と、それに伴う一般的な反論、またそれについて、
よく言われる気の利いた一言といったものまでが、すべて「前提」として省略されてしまっていて、
読者はそれらを前提として、説明されなくても認識していなければ、始まった議論を理解できない、というわけです

嫌味ったらしいですよね
これが、僕が以前に、「サリンジャーの悪意」と言ったところの本質のようです

つづく

90 :pont nord:02/12/16 04:22
つづき

ブレイク前の吉本新喜劇の藤井隆さんの実話で例示してみます(笑)

お笑いは「見るもの」で、「行う」ことに全く興味のなかった、恥ずかしがり屋の彼は、お笑いの「専門用語」についても、全く無知でした
場数も踏んだ或る日の、本番前の稽古の真剣な打ち合わせの場面で、先輩が新入りの藤井に指示を出します

「おい、そこは藤井、「てんどん」でいったら、面白いんちゃうか?お前が「てんどん」で行こうや」
「そやそや、藤井、「てんどん」で入って来い」

「は、はい・・・」

彼はとりあえず生返事でごまかしましたが、「てんどん」という「お笑いの専門用語」を知らない彼には、
熱心に先輩達が打ち合わせているのが、一体なんのことだか、実際はさっぱりわかっていませんでした
かといって、今更、みんなが当たり前につかっている「てんどん」という用語の意味を聞くのは、あまりにも場違いだし、
「お前、そんなことも知らんと、舞台に立ってたんか!」
と怒鳴られそうで申し訳なく、一人思い悩んだ彼は、
「僕みたいな、お笑いの勉強すらしたことのない人間が、新喜劇の舞台に上がるなんて、やっぱり失礼や!神聖な舞台や、頑張っているみんなへの、冒涜や!!」
と結論をだし、辞表を持って、編成デスクへと向かいます・・

趣味で(しかも無断で)、場違いな暴露話を引用してしまいましたが(笑)、
ポイントは「てんどん(繰り返し、かぶせ)」という「お笑い専門用語」を「前提」として知っておかないと、当たり前に喋っている内容もチンプンカンプンであるということです


91 :pont nord:02/12/16 05:20
つづき
「てんどん」なんて芸人は知っていて当然だと皆、思っているので、議論はそれを前提にすすむわけです

この前提の省略というのが、サリンジャー作品によく見られるようです
多くの読者にとって、彼の作品を難解に感じるのは、この省略されている前提の部分を、推測できないからではないでしょうか?

僕自身にも、なんだか、知ったかぶりの嫌味ったらしさが匂ってきた懸念がありますが、恐れることなく先に進みましょう(笑)

サリンジャー作品全体を通して、特にバディの話ぶりに顕著なんですが、この「省略された前提」は、シーモアにもゾーイにも見られます
『ライ麦〜』に至っては、作品自体、作品全体が、この隠された前提の上に成り立っていると思います
非常に分かりにくい訳ですな

数が多く、個別に指摘するのが難しいので、とりあえず思い付く一例だけ、「ゾーイ」の冒頭の「バディからの手紙」の最後の部分を例示しようかと思ったのですが、
あまりにややこしいので、簡単に指摘するだけにとどめます
(僕自身の頭も整理がつかない(笑)


92 :pont nord:02/12/16 05:21
この最後の部分の「僕のコシツ」とか「お互いにビッコどうしだ!」とか、ブーブーの「かしこ過ぎるみたい」とか、
シーモアの「いやいや、それは最大の悪趣味だ!」とかって、よくわからなかった人も多いのではないかな?

シーモアはブーブーの発言を予期して、それを前提に更にその先に議論を進めてものを言ってるけど、
ブーブー自身もバディが書き上げた小説がウケがよさそうなことを前提に、「逆にウケを狙いすぎ」と深読みして突っ込んでるし、
最後のバディの台詞も、ゾーイにおせっかいと突っ込まれるのを予期して、一見そう見せずに自身を卑下する形で、わざとお節介を演じて、それで苦笑いを取ろうとしてるんですけど、
わかった?
なんかあまりにもややこしくて、説明のしようが・・

こういうのを、サリンジャーは延々繰り返すんですよね(笑)
そりゃ、難解だわ・・(笑)
この「前提の省略」こそが「サリンジャー作品は難解」の元凶ではないでしょうか?
こういうのを、一個一個、紐解いていかなければ、作品の本質が見えてこないわけですね・・(ウッ、ため息をついている場合ではない!)
がんばりましょう!(笑)

ま、やっぱりお笑いについて詳しい方が有利だと思います
漫画家の いしかわじゅん も、「シリアス漫画とギャグ漫画は手法は変わらない」と力説してますもんね(笑)

93 :吾輩は名無しである:02/12/16 05:23
>>84
それって、論理的な矛盾、ないッスか?

94 :吾輩は名無しである:02/12/19 23:24
『ゾーイ』でのフラニーの目覚めの描写がいい。
苦悩する魂の持ち主というより、快活な女の子といったかんじ。

チキンスープを食べなくたって死にはしないよ。
チキンの匂いがチキンサンドが出されたレストランの記憶を
蘇らせてしまうわけで。(つまり、鶏が虎馬)

「太っちょのオバサマは・・・・・・キリストなんだ。」
相手の迷妄を指摘しつつ別の迷妄に誘い込む、タイミングを
見計らったくさい台詞。
ゾーイって、インチキテレビ伝道師みたいだな。


95 :吾輩は名無しである:02/12/20 00:14
チキンスープは飲まなくても死なないかもしれないが、
チーズバーガーとコークを食べなければ死んでしまうらしい。

96 :吾輩は名無しである:02/12/20 00:16
正確には

チーズバーガーは「食べる」
コークは「飲む」だ。

チキンスープは「飲む」?それとも「食べる」?
さあ、どっち?

97 :吾輩は名無しである:02/12/20 11:04
ざっとスレを見ました…難解な読み方をする人も多くいるのですねえ。
感心しました。

もう一度、私もサリンジャー読み直してみよう。
ちなみにスレタイの作品中では『エズミのために』が一番好きです。

98 :pont nord:02/12/22 00:45
先週の続きなんですが・・

「『省略された前提』=『第3ステージから始まるディベート』?」

先週の
・「省略された前提」
・例示=吉本新喜劇、藤井隆の「青き時代」(笑)
は、ちょっとわかりにくかったかな?と思うので、最近流行の「ディベート」に例えて、もう一度、説明させて下さい

皆さんご存じの方も多いと思うし、中には参加された方もいるのでは?と思いますが、「ディベート競技」ってご存じ?
個々の違いはありますが,大まかには、今回例示する、今年、関西で行われた、大学生チーム対抗の大会で使われたルールが基本的な流れになると思います

2つのチームに分かれて対戦するのですが、それぞれが今回扱われる命題、議題(ex.日本でも安楽死を行うべき、とか)について、クジなどで「賛成」と「反対」に分かれます
そして、双方が以下のステージを、交互にこなして行きます

第一ステージ
・反対or賛成の意見、根拠の陳述

第二ステージ
・第一ステージを踏まえて、相手チームへ反対質問and返答

第三ステージ
・第一、第三ステージの流れを踏まえた上で、最終的な意見、根拠の陳述

終了、審査員判定発表
・複数の審査員がそれぞれ、より説得力があり、論理的で納得のいく討論を展開できたと思うチームに投票
・より、多くの票を集めたチームが勝利となる

それぞれのステージが複雑化したり、流動化するかも知れませんが、だいたいこんな感じですよね?

つづく

99 :pont nord:02/12/22 01:29
つづき

もう、お分かりだと思いますが、サリンジャーは常に「お話」や「議論」を、ディベートに例えるなら、この「第三ステージから始める」ような形で行っている、という訳です

ディベートで言えば、あなたは大会会場に遅刻してやって来た、不勉強な観客だとしましょう
既に大会は、最後の第3ステージが進行しています
(実際には、それぞれのステージが複数日に分かれて開催されることもありますが、今回は朝から晩の一日で、全て終わるものとしましょう)
たまたまあなたは、友達がステージに立つというので見物に来ただけなので、今回の議題すら知らなかったとしましょう

この状況であなたは、今回の「議題」、そして第一、第二ステージにおいて、どのような「討論」が繰り広げられ、どのような「意見」が述べられたのか?
そして、それらの議論がどのような「変遷」を辿って成されたのか?
これらのことを、あなたはどこまで「推測」出来るでしょうか?

サリンジャー作品を読むにあたって求められるのは、まさにこの、
「第三ステージから、それ以前の展開を「推測」できる」
技能、能力、というかむしろ「可能性」ではないでしょうか?
(付記しておきますが、全てを理解しなくても、作品を鑑賞することは可能です。前出の”いしかわじゅん的”に言えば、ギャグの引用の元ネタが分からなくても、それで読者が笑える場合があるように・・)

「議題」くらいは推測出来ても、第一、第二ステージがどのような「変遷」を辿ったかを推測するのは至難の技です

しかし、これが比較的に、容易に出来る場合もあるのですね!
それは・・   つづく

100 :pont nord:02/12/22 02:46
つづき
慧眼な方はもうお分かりだと思いますが、それは「自身も同じ議題をディベートした経験がある」場合です

ということは、僕が何を言いたいかも分かりますよね?
すなわち、
・サリンジャーと同種の体験をしていれば、サリンジャーを理解するのは比較的に容易である
ということです
逆を言うと、
・サリンジャーと同種の体験をしたことのない人は、作品理解が困難
ということも、言えるでしょう

「同種の体験」というのは、この場合「議論」や「思案」、「思索」と言えるかな?
僕が以前に「グループ1」に分けた(前スレ)、「概念提示」的作品群が主な対象になると思うけど、

例えば「ゾーイ」で言えば、
・「神」の存在って、なんだそりゃ?
・「イエス・キリスト」って、誰?悪魔くんのクラスメート?
・「エゴ」って、何?新人アーティスト?
・「複雑な愛」って、普通の「愛」と、どう違うの?一夫多妻制?
・ニューヨークを離れてフランスで仕事するって、どういうこと?
などなど、と言ったことに対して、読む以前に、「議論」や「思索」、「思案」を重ねたことが、あるのか、ないのか?
ということですね

以前に「サリンジャー作品はアメリカ人でなければわからないことが多い」と指摘されたことも、同じことですよね
あの時、僕はその意見を否定しておきましたが、一理あるとは言えますね
(究極的には否定されるべき指摘だと思いますが、蒸し返すのは止めましょう(笑)

さて、僕があのホールデンお気に入りの「リチャード・キンセラ」少年(「脱線!」)のように話せていることを祈りながら、
次回は、サリンジャー作品における「お笑い、ユーモア」の重要性について、もう少し、しつこく喋るぞ!(笑)
(でも、実際は「アントリーニ先生」やD.B.のように嫌がられてるのかなぁ・・?(笑)

101 :pont nord:02/12/22 03:16
>>94
>『ゾーイ』でのフラニーの目覚めの描写がいい。
同感
小説全体を通して、フラニーは非常に快活で、可愛らしく魅力的に描かれていますよね
>苦悩する魂の持ち主というより、快活な女の子といったかんじ。
それって、サリンジャーは意図的にそう描いていると思うよ
フラニーを、実は苦悩していない存在として描いてると思う

>>97
>〜「エズメのために」が好きです。
いつも思うんだけど、僕はもう少し詳しく、どの部分が好き、とかいうのを聞きたいと思うんだよね
でも、解釈ではない単純な感想とかは、「「文学板」に相応しくない!」とか言って、すぐに煽っちゃう人がいるのかな・・
僕はそういうのもいいと思うんだよね
だって、2ちゃんねる板が、他板に比べて、一番閲覧しやすいんだもん・・
他に、閲覧しやすいサリンジャー板、誰か知ってる?

102 :吾輩は名無しである:02/12/23 07:33
フラニーの本質は明るく善良で、宗教的煩悶は似合わない。
その精神の型はゾーイより母親に近い。
母娘は相似的に描かれています。

フラニーのハンドバッグとその中身は
ベシーが「自分の庭」と心得るバスルームのキャビネットと
その中の薬の群れのミニチュア版。
母が歯みがきの箱の注意書きを読むように
娘は精神に効能がある(と彼女が信じる)『巡礼の書』を
読む。 母同様に便器を椅子代わりにして。

これは漏れが発見した事実だ。
今後レポート等でこの点に言及する香具師は
参考資料として「2ちゃんねる」の名を明記しる!(うそ)


103 :吾輩は名無しである:02/12/23 16:11
バナナを「違うものを撃った」というオチの話と考えるのは
レベル1ですか

104 :吾輩は名無しである:02/12/30 21:57
『エズミ』で好きなところは、主人公が教会の掲示板にある児童合唱団の
子供の名前を全部読むところです。
エズミのフルネームもあったんだろうな・・・
>>97の代わりに答えちゃいました。


105 :吾輩は名無しである:03/01/03 16:02
「フラニーとゾーイ」をお気にの風俗嬢から薦められたのが1ヶ月前。
ずっと忘れていたが、昨日何気なく買って一気に読んでしまった。
面白い。
早速、「ナインストーリーズ」も買って来た。
「大工よ〜」「シーモフ」も取り寄せてもらうことにした。

「ライ麦畑〜」って文庫では出版してないんですかね? 
ハードカバーの本は可愛くないので嫌いです。


106 :吾輩は名無しである:03/01/03 17:02
>>105
hakusui U books

107 :吾輩は名無しである:03/01/04 01:09
>106さん
ありがとうございます。
「ナイン」「大工」「シーモフ」を読破してから取り寄せます。

108 :吾輩は名無しである:03/01/06 03:16
>>104
なるほど、なるほど・・確かにそうでしたね
あれって、特別な目的もなく、そうしていたんですよね
一度は泣きベソをかきかけた、弟のチャールズの機嫌を、最後には見事に取り返してしまうところなんかもそうですが、
主人公のそんなところに、人間的な優しさを感じます
戦争が終わった、駐留キャンプでも、
「僕の読むような本は、急いで取りに行かなくても、たいてい最後まで残っている・・」
とか言うのも、ちょっと嫌味なところもあるけど、憎めない奴だなと思いました(笑)

そういえば、「ナイン〜」は随分読んでないので、読み返してみるべし
もっと色々、感想聞きたい

109 :吾輩は名無しである:03/01/06 07:55
そういや有名だったなってんで、図書館で手にとったけど、
最初のページで、つまらなくなった。煽りではなくて、
なんかもう、文章で引っ張ってくれないのよね。
「だから何?」で終わりそうな予感がしたので、ダメだった。
川上の「ヘビ」は、逆で、「おい、どうしてくれるんだ?」となったから、
良かった。ここで川上を出したのは、最近読んだからというだけ。

110 :吾輩は名無しである:03/01/06 12:39
>109
あわない人にはただキモイだけかも

111 :贋作鶏のジョナサン:03/01/06 15:29
「笑い男」わが青春の物語、個人的思い入れあり。
野崎さんの「ライ麦」訳はついて行けんかった。ノリがオジンだもの。
いい翻訳で味わいたい!


112 :吾輩は名無しである:03/01/12 02:47
「サリンジャーって、おもしろいの?」
「うっ・・」
「言葉には常に隠された意味がある。そいつを読み取らな
ければいけないのさ!」
「ううっ・・」

新春コント初めで'03年の幕を切って落としてしまいましたが(笑)、
自らを「天才サリンジャー」の生れ変わりとして、日本現代米文学界の「ブッダ」、「クマリ」と称する私ですら(笑)、
「サリンジャー、面白くない」との考えには、煽りでなく実は同感です・・

スレタイの「ナイン〜」の中では、「エズミ〜」が米国で評価が高く、批評家賞かなにかをとったらしいですが、未だに僕には納得が行きません
海外では、「ナイン〜」は「エズメ〜」のタイトルで出版されることもあるようなのですけど、
サリンジャー作品を代表する一作だとも思わないし、少なくとも「ナイン〜」を代表する作品だとは思えません
「バナナ〜」や「テディ」、「対エスキモー〜」の方が適切だと思います
売り上げを睨んでの出版社側の希望があったのでしょうが、この「エズメ〜」ばかりが注目を集める米国の状況を見ていると、
サリンジャーもあまり正当な評価を受けていないのでは?と感じます
文芸誌の中で、その他大勢の他作家達の作品に混じって見ると、目を引く作品かも?というのはわかりますがね

作家を目指している友達に、「じゃあ、是非、これを読め!」と言って、「エズメ〜」を勧めるかと言えば、僕は勧めませんね
むしろ、「ナイン〜」の中の、その他の短編を勧めます


113 :吾輩は名無しである:03/01/12 05:05
「では、サリンジャーの魅力って?」

各人色々でしょうが、僕はこんな感じかな?
1)既存の「小説」の概念、枠組みを打破し、それを越えるものを作ろうとしている(パズルとしてではなく)
2)思想、概念を提示
3)読者に媚びず、超然とまくしたてて、そのままなところ
4)とにかくおしゃべりで、ユーモア好き
5)ホールデンの繊細な優しさ

1、2を鑑みなければ、面白いと思えないのではないですかね
特に「ナイン〜」はそうかな
3が読んでいて非常に気持ちの良いところ
また、1、2であるにもかかわらず、4であるところが人間的な魅力だと思う
そして、なんといっても5!
多くのファンが、難解でよくわからないにもかかわらず、多くのサリンジャー作品群に飽くなき挑戦を挑むのは、その裏に、これがあるからではないかと思う!(笑)

てなわけで、
皆さんは、「サリンジャーっておもしろいの?」と聞かれたら、どこが魅力だと答えますか?
(逆に、「ここが嫌い」とか「ここがくだらない」でもいいですけど(笑)

114 :吾輩は名無しである:03/01/19 04:54
「『フラニーとゾーイ』の、どこが難解?」

前後半での対立概念の是非の倒立
@「フラニー」
・フラニーを・・・肯定
・レーンを・・・・否定
@「ゾーイ」
・フラニーを・・・否定
・ゾーイを・・・・肯定

難解になる要因(?)
1)肯定された存在と思えたフラニーが、後半で逆に否定されるというレトリック
(実際は「フラニー」の時点から、既にフラニーは否定されている?)
2)フラニーを否定する描写が、淡泊で(?)わかりにくい?
(しかも(しかし?)、内容においては、彼女は具体的に身体的変調を伴い、被害者として存在している。この部分は僕も疑問を感じるところ)
3)作家によって肯定され(?)、(構成上)フラニーを否定すべき存在のゾーイが、ストーリーの内容において、最後の場面までフラニーを否定できないという逆転的構成
(逆にこれが作品の深み?)

結果、フラニーとゾーイ、それぞれの(対立項の)是非の判断が、非常に複雑化してしまっている

というのが、僕の個人的な解釈による、「フラニーとゾーイ」は難解?な、理由の推察
肝心の「フラニー否定」に関する描写の指摘は、次回ということで・・
ただし、これらの考えは僕の解釈で、もちろん、解釈は人それぞれ、個人の自由であり、それに関して間違いや正解といった絶対的な判断はありえません

P.S. 否定、肯定というのは、人間的存在の否定等ではなく、「考え、信条」の否定ですよ!お間違いなく!

115 :山崎渉:03/01/20 05:13
(^^)

116 :吾輩は名無しである:03/01/21 23:30
シーモア序章、全然ついて行けてないんだけど、
これどういう意味で、バナナフィッシュにつながるの?
今、ようやく半分以上読んだけど苦痛になってきました。
まあ、2割くらいの文章は感じるものが無いでもないけど……。

117 :吾輩は名無しである:03/01/25 20:10
『エズミ』の終わり近く、タイプライターに顔を伏せたXの姿は
前半でチャールズがみせる、シートに頬をのせて目をつぶる様子と
オーバーラップするんだよね。

Xが目を開いて見つける小箱は
チャールズの目と同じ緑色で・・・

戦争で少しおかしくなったXの精神は
バナナフィシュのシーモアと関連するのでは。

サリンジャー自身はどんな戦争体験をしたんだろう。


118 :吾輩は名無しである:03/01/26 02:11
「サリンジャーの光と影〜「ユーモア」と「絶望」」

「なぜ、そうなるのかは解らないけれど、不幸や困難といったものが芸術家の創作に好影響を及ぼすというのは、確かなことらしい」
とは、90年代を代表する、あるロックアーティストの残した言葉。(勿論、彼はそれを自ら証明して見せたわけですが・・)
てなわけで、もしあなたが作曲家でも画家でもなく、小説家であれば、さぞかし素晴らしい文学を残されることになるのでしょうが、
まかり間違って、コメディアンでもあったとしたら、どうなると思います?

放っておけばろくに注目されることもないだろうと考えて、僕は「ユーモア」についてばかり喋っていましたが、
実はこの「絶望(困難)」と一組にして考えるべきものだったのかも知れません

・サリンジャー = 常に人生における困難を描く作家
・それらの困難は、「ライ麦〜」において、「絶望」として結実

「困難」を描くだけなら、文学においては別に珍しくもなく、逆に、安易に使用される俗っぽいテーマであるとすら言えるのかも知れません
しかし、サリンジャーはそれについて、いささか特徴的な、以下のような切り口を持っているのではないでしょうか?
逆に、以下のような切り口を持った作品は、「サリンジャー的作品」と読んでもいいのでは?とすら思います

つづく


119 :吾輩は名無しである:03/01/26 02:15
(つづき)

「「ナインストーリーズ」の光と影〜併存する「ユーモア
」と「絶望」」

・「絶望(困難)」と常に背中合わせに存在する「ユーモア」
・「ナイン〜」は実は、このもう一方の要素「ユーモア」をもとに選出された?

この「ユーモア」というのも、文学において「絶望」とともに描かれたとしても、それほどは珍しくはないかも知れません
それは、緊張の強弱をつける、あるいはドラマを強調する、といった補足的機能で用いられる場合があるからなのですが、
しかし、サリンジャーにおいては、それは補足などではなく、その併存のあり方は、かなり特徴的なんですね

・@「バナナフィッシュ〜」ーー「ユーモア」と「絶望」の、等温における完全な併存(混在)

これこそが「バナナ〜」における最も重要なテーマの一つであり、またサリンジャーという作家の特徴を端的に表す部分だと思うのですが、それがどこかと言えば・・

絶望
・木にぶつからないように一生懸命に運転
・弾けもしないピアノを延々弾く..etc
(これらは孤独を表しているのかな?)

ユーモア
・(くどいけど)シビルとの会話

これらについては、まだまだ考えるべきところがあるかと思いますが、
次回は、サリンジャーファンの間の「禁断の果実」、今まではあえて避けていたのですが「絶望」について触れてみたいな・・


120 :吾輩は名無しである:03/01/26 05:36
>>116
「シーモア序章」にも書いてたと思うけど、「バナナ〜」には繋がらなくて、
「バナナ〜」で死んだのは、作品の中でも触れられているけど、やっぱり、明らかに心理的には「バディ」の方であり、サリンジャー本人の疑似自殺行為と僕は思う

>>116の感覚は正しいと思う
野崎訳の「シーモア〜」を愉しんで読める人って、ほとんど存在しないと思う
僕は野崎訳の「フラニーとゾーイ」ですら、あまり楽しんで読めない
(他の人の翻訳でも厳しいと思う。サリンジャーは文章がややこしいから、原文読みを余儀なくされる気がする)

小谷野敦の「サリンジャーを正しく葬り去るために」を読みたいんだけど、どの本に入ってるの?
アマゾンで調べたけど解らなかった

121 :名無し:03/01/30 20:46
流れ者です。前スレ読めないのでどういう議論だったかよく判りませんが
「ナインストーリズ」の冒頭の「隻手の音」の公案をふまえて
考えられた方はおられませんか。


122 :吾輩は名無しである:03/02/02 22:14
禅や禅の公案って相手を煙に巻く言葉遊びの印象しか
ないんだけど、 精神分析学の方面からアメリカでは
当時は注目されてたみたいですね。 無意識を知る
手掛りとして。 
サリンジャーは鈴木大拙とか読んでたのかな。
禅や東洋思想に麻薬が加われば、ビートニクや
ヒッピーの出来上がり。
そういえば『バナナフィッシュ』での不思議に明るい
色彩イメージは何かサイケだね。


123 :吾輩は名無しである:03/02/08 03:47
>>122
同感。

124 :吾輩は名無しである:03/02/08 03:51
「アントリーニ先生、懲戒解雇処分?!(by 東スポ)」

勿論、そんな一面見出しがある訳もなく(笑)、僕の創作なんですが、アンチ「言葉のパズル」論者の僕自身には相応しくないものの、
「概念の広範な潜在性」という点から、これについて考えると、興味深いかということで、こんな話はどうでしょう?

(全体の構成から見ると、以下の解釈を裏付けるだけの要素はなく、邪推の域を出るものではないので、あしからず)

『ライ麦〜』を読んでいて気になるところは色々あるのですが、個人的に気になったのが James castle の自殺についてです

*ジェームズ・キャッスル
・クラスでは目立たない存在、物静か(暗い?)
・いつも取り巻きを連れている嫌な奴に対しても、恐れずに批判(=実は相当、根性がある?)
・自室に閉じ込められ集団虐待を受けても、やはり発言は撤回せず、かわりに飛び降り自殺(=やはり、相当の根性の持ち主?)
・ホールデンはその行為を「好きなもの」の一つとして連想

さて、僕はこう考えました
・同級生による嫌がらせは、「恒常的」であったわけではなさそう
・友達のいない奴ではあるものの、いじめられていたというわけでもなさそう
・その英雄的行為を見る限り、相当、根性のある、しっかりものと思える
・それほど根性があるなら、一度(?)の虐待で、なぜ自殺した?
・他に自殺の原因があるのでは?


125 :吾輩は名無しである:03/02/08 03:56

つづき
「自らの命を犠牲にして、いじめっこに制裁を加えようと考えたからでは?」と思われる方もいるかと思いますが、
面と向かって文句を言えるだけの根性があるのだから、制裁を加えるなら他にも方法はなくはないし、だからといって「自殺」するのは「極端」であるように思います

・やはり、なにか「他に」、常に彼を自殺へと導くような「要因(悩み)」があったのではないか?
そこで気になるのが、「アントリーニ先生」です

*アントリーニ先生
・長年、独身であったが、最近、資産家のお婆さんと結婚
・美少年ホールデンに対して男色(少年)疑惑あり
・自殺したジミーの無惨な遺体に、誰よりも早く駆け寄り、コートをかけてやった

「なに!、コートをかけてやった?!」
これって、ホールデンも望んでいた行為なので、単純に思いやり深い行為なんですが、「ジミーの自殺」の逸話にアントリーニ先生が出てくることに、少し違和感を感じました

そこで、僕の「邪推」の出番です
・実はジミーはホールデン以前に、アントリーニ先生と性的な関係があった(アントリーニ先生は遊びではなく、本当に愛していたのかも)
・その関係が続いていたが、ジミーはそれを誰にも話せずにいて、アントリーニ先生に対する気持ちと、自身の中に「同性愛」を認めることの間で、精神的に追い込まれていた

そこで、「邪推2」の出番です
「ジミーはろくに話をしたこともないのに、どうでもいいような理由で、ホールデンに「セーターを借して」と頼んでいた?!」
・実は、アントリーニ先生によくしてもらってるホールデンも自分の「仲間」ではないかと思い、探りを入れていた?
・しかし、結局ホールデンは自分と同じではなさそうで、彼は一人で、さらに精神的に追い込まれていく
・同級生の虐待をきっかけに、「衝動的に自殺」
・アントリーニ先生は、それを見て、強い良心の呵責に襲われる

「邪推3」!
「アントリーニ先生もホールデンが去ったあと、フートン校を去り、教師は辞職して、研究職に戻るらしい?!」
・自身の「少年性向」を絶つべく、高校教師をやめて「お婆さん」と結婚
・もしくは、学校上層部に知られて、内密に解雇か?


126 :吾輩は名無しである:03/02/08 04:27
すまん。教えてくれ。

「バナナフィッシュ〜」を読んだけど、どこが面白いのかさっぱり
わからん。
ただ、男が意味もなく自殺するだけの話に思えた。



127 :吾輩は名無しである:03/02/08 16:23
>>126 それが正常
つまらん話をいちいち論理的に分析するのは偏差値教育病

128 :吾輩は名無しである:03/02/08 19:25
『聖』と『俗』、それを一見風俗小説風な
スタイリッシュな文体で活写する、というのが
サリンジャーの魅力かな。

『バナナフィッシュ』でいえばミュリエルと母の俗っぽい
会話と禅問答めいたシーモアとシビルの場面の対比。
虚飾と虚栄に充ちたリゾート地での(なにしろホテルには
広告マンが97人もいる)聖者伝といった感じ。

ローブをまとい素足で砂浜を歩くシーモアは
ゴルゴダのキリストのイメージか。

十字架の代わりに浮袋を抱えているのがミソ。


129 :126:03/02/09 03:19
>>127

いや、まあ、面白いって思った人の意見を聞いてみようよ。

>>128

なるほど。
言われてみれば、なるほどと思う。
ただ、疑問がある。
シーモアがエレベーターで女性につっかかる場面があったけど、
あれはどう理解すりゃいいの?
あと、
>十字架の代わりに浮袋を抱えているのがミソ。
これはどういうこと?
十字架=死刑の道具、浮袋=溺れないため(生きるため)、ってこと?
その違いはどういうふうに解釈可能なのだろうか。


130 :吾輩は名無しである:03/02/09 15:12
サリンジャーってほんとに物事が何々を象徴している
ってかんがえてかいてたの?
読んだ人の後付にしか思えない。
シーモアってただの狂った人だと思う。

131 :吾輩は名無しである:03/02/10 20:00
ラジオのサリンジャー特集的なコーナーで聞きかじったが
娘の出した暴露本によると著者は65年隠遁後も、せっせと
創作活動を続けているらしい。
でも本人はその膨大な未発表作品を発表するつもりはないという。
「自分の作品を批評されるのはたまらない」そうだ。

132 :吾輩は名無しである:03/02/10 20:08
ハプワース読んだけど、
わけわかんなかった。
フーンって感じ。

133 :吾輩は名無しである:03/02/10 23:47
65年も引き篭もったサリンジャーの作品は面白いのだろうか?

134 :吾輩は名無しである:03/02/11 00:40
>129
128じゃないけど。

どの本か忘れたけど、シーモアの足の指は六本だって説が紹介されてたな。
シビルが見つけたと主張する、六つのバナナフィッシュは
実はシーモアの足の指だった。コンプレックスを指摘されたシーモアは
それを不快に思ってシビルのもとを離れる。
で、エレベータの中でもつい自意識過剰になってしまって
女性につっかかったのだ…みたいな解釈。
既出だったらスマソ。個人的にはかなり無理があると思う。

135 :吾輩は名無しである:03/02/11 05:28
シーモアが完全にいかれているという立場にたてば
小説中でミュリエルの伝える彼の言葉(大勢のバカ者どもに文身をみられるのはいや)
がエレベータの場面をある程度説明するのでは。

でもシビルとの会話の後ではいかにも唐突で当惑させられる
行動なのは確か。

深読みすれば、シーモアは死ぬ前に女性の前で
わざと異常な言動をしたのかもしれない。
正常な状態で自殺したのではないということを
残された人に印象づけるために。


136 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

137 :吾輩は名無しである:03/02/16 02:36
シーモアのミュリエルとシビルに対する態度って、常にユーモアに満ちていると思う
(ドイツ語の辞書を使って読めばいいって言うのも、半分は本気だけど半分はジョーク。
ミスルンペンと呼ぶのも、これまた半分はジョークと思う。シビルに対する言葉も全て、彼なりの、少しシュールなユーモアと思う)
「バナナ〜」のシーモアは実はバディ(作者本人)であって、「ゾーイ」の冒頭の手紙にあるように、バディは絶え間なく軽口を叩き続けてしまう性格
「バナナ〜」は、
「自殺しようとする人間というのは、思い詰めてふさぎ込んでいるもの」
という通俗概念へのアンチテーゼであって、世の中には自殺する間際にも凄く落ち着いた表情でジョークを飛ばすような人間もいて、
実はそんな人間の方が、心の中に遥かに深い闇を持っているのだ、ということをサリンジャーは訴えているのだと思う
サリンジャーにとってジョークやユーモアは、彼自身をこの世の中に結び付けておくために、絶望に押し潰されてしまわない為に、なくてはならない物なのだと思う
それを訴えているのが「バナナ〜」だと思う

138 :吾輩は名無しである:03/02/16 04:44
入れ墨を見られたくない」と言うのもジョークだと思わん?

139 :吾輩は名無しである:03/02/16 06:52
>>131
読みたいな、それ。

140 :吾輩は名無しである:03/02/16 19:34
>>134
漏れ129じゃないんだけど、その説結構面白いと思う。自殺とそれが結びついているかどうかはわからないけど・・・。
「ナインストーリーズ」のそれぞれの短編は、一番最初のページにある禅の公案を本当の意味で理解しないとわからない、って誰かが書いてた。「バナナフィッシュ」はそれが一番当てはまるのでは・・・?

141 :吾輩は名無しである:03/02/18 22:02
ageときますね。

142 :吾輩は名無しである:03/02/23 00:35
『バナナフィッシュ』のシーモアの台詞。

「ああ、シャロン・リプシャツか。 よくもそんな名前が
思い浮かんだもんだ。 記憶と欲望を混ぜ合わし、か」

「思い浮かんだ」っていうことはこの名前はシビルが
勝手につけた名前なのか?
続く「記憶と欲望を混ぜ合わし」という『荒地』の言及
(訳注によれば)の意味も謎です。
ただここ http://www.theotherpages.org/poems/eliot01.html
見ると、エピグラフにギリシャ語でこんな言葉が
あるらしい。
"Sibyl, What do you want ?"
"I want to die."

143 :吾輩は名無しである:03/02/23 01:44
どうしてシーモアは銃を旅行先にまで持ってきたのだと思う?

144 :吾輩は名無しである:03/02/23 02:46
>>143
やっぱり前々から自殺する意思があったからだと思う。ってことはシビルとのやりとりは自殺の動機には関係ないってことになる。
ほんとはミュリエルを殺すつもりだったとか・・・なんてことはないね。

145 :吾輩は名無しである:03/02/23 12:00
「記憶に残る」ことで、記憶という媒体を昇華し真の己を得る。

自我意識(世界観)の統一を9つの物語(数学的な反復作用)で
計っているのではないだろうか。

>122
>鈴木大拙とか読んでたのかな
読んでたと思う。

146 :吾輩は名無しである:03/02/23 15:52
西脇順三郎訳『荒地』ではSibylを巫女(みこ)と訳しています。
以下、冒頭を引用。

    ―荒地―

 『クーマエというところで一人の巫女が甕の中にぶらさがって暮
していたのを実際に私は目撃したからだ。 街の少年たちはいうのだ
「巫女さん、あんたは何がしたいのだ」巫女はいつも答えた「わし
は死にたいよ」』

   より巧みな芸術家
      エズラ・パウンドのために。

    I 埋葬
  4月は残酷極まる月だ
  リラの花を死んだ土から生み出し
  追憶に欲情をかきまぜたり
  春の雨で鈍重な草根をふるい起こすのだ。
  冬は人を温かくかくまってくれた。
  地面を雪で忘却の中に被い
  ひからびた球根で短い生命を養い。
  シュタルンベルガー・ゼー湖の向うから
  夏が夕立をつれて急に襲ってきた。

147 :吾輩は名無しである:03/02/25 22:38
>146
引用だけかよ、おい。

148 :吾輩は名無しである:03/02/27 21:40
『荒地』を読めばシャロン・リプシャツに関連した記述があるのかと
思ったけど、何もないよ。
冒頭の「4月」や「春の雨」の句から『エズミ』を連想したくらい。
とにかく難解な詩。
やっぱり、シャロン・リプシャツを話題にしたシビルから
エピグラフにその名のあるエリオットの詩がシーモアに
浮かんだのか?

149 :吾輩は名無しである:03/02/27 22:06
ところで『荒地』の128行目にこんな一節があった。

O O O O that Shakespeherian Rag
It's so elegant

シェイクスピアには詠嘆を表すO の文字がよく出てくる。
 O Romeo, Romeo ! wherefore art thou Romeo ?

『フラニーとゾーイ』のなかでゾーイが「O」の文字を
一杯落書きするところがあったけど、 あれは
サインの練習をしてるわけでも(Zooooooooey)
禅の修業をしてるのでもなく(無無無無無)
ゾーイの心の叫びなのかもしれない。
フラニーより悩みは深かったりして。

>147
これで勘弁してくれ。

150 :吾輩は名無しである:03/03/03 02:44
かんべんしちゃる!

151 :吾輩は名無しである:03/03/03 03:16
シーモアが使った銃、Ortgies calibre 7.65 automatic ってアメリカ製?
それともフランス製?
軍人が使う銃なの?

152 :吾輩は名無しである:03/03/06 13:24
村上春樹氏の「ライ麦〜」翻訳のプロモで、彼のインタヴューが白水社のページにアップされています
<a href="http://www.hakusuisha.co.jp/current/topics/rye1.html">http://www.hakusuisha.co.jp/current/topics/rye1.html</a>

やっぱり彼もブームに乗っ取って読んだ口で、「面白かったと思うけど、よく覚えてない・・・」という普通(良く言えば健全?(笑)の感想の持ち主で、特別な思い入れがあるわけではなさそうです
なのに何故翻訳に取り掛かったか?
周囲の人たちに「求められた」からですって!(笑)
翻訳に際しても、予想通り、作家らしい独自の「解釈」に基づく新機軸による再構成みたいなことをやってるらしいのですが、
そのキーワードが英語で具体的な対象主体を持たずに使われる you を具体的に設定して、主人公が一人語りではなく、
明確な誰かに話しかけているということにして翻訳してみたそうです
これを聞いた僕は興味深々。なぜなら、あの小説で聞き手を想定することは、論理的矛盾が発生して難しいからなんです
「いったい誰に向かって語ってることにするんだろ・・・」
と、先を読んでみて、失笑ですわ(笑)
相手は「もう一人の自分」だそうで、小難しい言葉を使って言い表しておられました(笑)
そこから延々語られるのは、登場人物は全て作者の自己投影であり、全てを「自己」を中心としたキーワードによって完結するというようなお話
世間の多くの人たちがそうであるように、春樹氏も、どうやってもサリンジャーをエゴイストの神経症者にしてしまいたいようです(笑)
このインタヴューを読んでいて可笑しくも悲しいのは、自己投影(しかもかなり身勝手に・・・)をしているのはサリンジャーではなく春樹氏自身であるということなんです・・・
翻訳に取り掛かる動機についてとかもそうですけど、読んでいて、自己中心的な春樹氏のエゴが大暴走してる(笑)と感じたんですが、これってわかり難いだろうとは思います
でもサリンジャーファンを自称する人たちにはわかっていてもらいたいと常々感じます
というのもサリンジャーって、そういうわかりにくいエゴについて、踏み込んで書こうとがんばった人だと思うからなんですが・・・


153 :吾輩は名無しである:03/03/06 14:04
ただ、春樹ファンのために言っておきますが、彼はスキルの高い作家だと思いますよ
インタヴューよんでても、文章うまいなと思うし、「ねじ巻き〜」読んでても「うまい!」と何度も感心させられた(笑)
(しかしそれは、彼がエゴイストであることの言い訳にはならないぞ!)
だからといって、「僕が嫉妬に狂っている!」なんて短絡的に結論を急がないで下さい(笑)
「ねじ巻き〜」を読んでて感じたのは、彼が大成功に伴う功罪みたいなものによって自分を見失いつつあるのではないかということです
毎日マスコミに騒がれ、批判の的にされれば、どんな人間でも精神の平衡を保つのが困難になったりします
いったいなにが正しいとか間違ってるとか、わからなくなると思うんですよね・・・(春樹氏に限らず。一般論です)
周りは、物乞いイエスマンばっかりになったりするだろうし・・・
(フォローしてるつもりなのに、褒め殺しみたいに聞こえる?)

ところで、専用スレが出来たら、半狂乱で鬼神のごとくカキコしてやろう!などと思っているんですが(笑)、例えば誤訳などがあれば、いやらしくネチネチと指摘してやろうかな(笑)などと考えています
でも、明確に誤訳を指摘できるような記述は、実はないのではないか、と思っています
というのも春樹氏は翻訳しづらいところなどは、誤訳を指摘されない程度にうまく誤魔化すのではないかと想像するのです
そういう「あざとさ」が、今後、「ライ麦〜」にパッケージングされて後世に語り継がれていってしまうことになるのか、
ということが、僕がもっとも不安を感じるところなんです
杞憂に終わればいいんですがね

その点、野崎氏は真っ正直で、そのような「あざとさ」とは無縁ですよね
そこが、僕が彼のことが好きで、サリンジャー翻訳家としてふさわしくもあるし、納得がいくと思うところでもあるんですが
たとえ古臭いと感じる人がいてもね!

154 :吾輩は名無しである:03/03/14 23:40
>>149
>『フラニーとゾーイ』のなかでゾーイが「O」の文字を一杯落書きするところがあったけど、・・・
その説はかなり信憑性があるように感じる
ま、謎というほどの謎でもないけどね
英語圏の文学好きの連中は、すぐにピンと来るんだろうね

155 :吾輩は名無しである:03/03/29 04:56
20年前に春樹はこんなことを書いてるよ。
アメリカで「ライ麦」が売れ続けてることを紹介したあと、

…僕個人に関して言えば、「キャッチャー」の感想を求められても
何も言わないことにしている。 
エスタブリッシュメントの悪口を言うと人に嫌われるからである。…
 「ナンバー」1982.4月号 (「'The Scrap'」1987 所収)

オレも春樹の悪口は言わないようにしよう。


156 :吾輩は名無しである:03/04/05 20:44
>>155
20年経ってベストセラー作家になると、人はこうも変わるということだろか…

157 :吾輩は名無しである:03/04/13 23:39
『ニューヨーク1997』の邦訳(荒地出版社)を読んだんだけど、すげえ読みにくかった。
原典に忠実なのかわからんが、句読点の位置が変なんだよ。
だから読んでてもすぐにつっかかる。音読が下手な奴が頭ん中にいるみたいで気持ちが悪い。
これ読んだ読者に、サリンジャーは文章が下手、って印象を与えるのでは?とかいらん心配したり。
あとね、表紙を一枚めくって、最初のページに白黒のサリンジャーの顔が印刷されてるんだけど、
それが亡霊みたいで怖い。表紙の色もグロいね。この出版社ってインディーズなの?

158 :ixion ◆ySh2j8IPDg :03/04/14 00:36
>157
「ニューヨーク1997」って、「ハプワース16, 1926」のことか?
ちょっと面白いけど^^;

荒地出版の選集は、確かにちょっと微妙な訳もあったりしたような…。

あ、春樹の訳は、やっぱりちょっとジジイがかった内面的な青年(やれやれ)風
に料理されてたね<キャッチャー

159 :吾輩は名無しである:03/04/14 05:03
バナナ〜の作品の背後には戦争という現実的予件がほのめかされており、それに対し徴兵されまさに当事者の立場におかれたシーモアがどのような態度で対応したのか、あるいはせざるを得なかったのかを考えてみることが読解の重要な鍵になるのではないか。

160 :ナナーシー:03/04/14 05:27
その場合圧倒的な破壊として迫る戦争に対し、シーモアは自己の精神性を盾に抗うよりほかに手段はなかったのではないか。そしてその内なる激闘の結果、シーモアの現実に対する客観的な対応力とでもよべるものが取り戻しのつかないほどに損なわれてしまったのではないか。

161 :ナナーシー:03/04/14 05:42
そう考えてみると、彼の想像的な文身は、戦争で受けたトラウマの表れのようにも思えるし、また精神性そのものと化した彼の象徴として表現されてるようにも思える。

162 :ナナーシー:03/04/14 06:01
そう考えていくと、読めるかどうかにこだわらずにドイツ語の詩集を薦めるわけもみえてくるように思える。

163 :吾輩は名無しである:03/04/14 10:07
>>159-162
なるほどね、真っ当な意見だと思う
ただ、難題の自殺をどう料理するのか
それが問題だよね

164 :吾輩は名無しである :03/04/16 17:38
シビルのパパが「明日」飛行機でやってくる、というのも
関係してそう・・・


165 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

166 :吾輩は名無しである:03/04/16 17:42
戦地が「男性社会」を表すのだとしたら、そこから
帰還した事を強調するためにこの作品には女性しか登場しない
のかもしれない。
でも、シビルのパパが来ることによって、そこに変化が起こる。


167 :吾輩は名無しである:03/04/16 22:20
シーモアは怖かったのではないでしょうか。
シビルの父親が来ることによって戦争の時を思い出すのが・・・
かといって女性社会には、セックスとファッションしかなかった。
そこにも救いが見出せない、という事なのだと思います。


168 :吾輩は名無しである:03/04/16 22:25
サリンジャー文学の世界観においては
男性的、女性的とわけるより
禁欲的(どちらかというとカントに近い)、快楽主義的、
といったほうがしっくり来るような気がする

169 :吾輩は名無しである:03/04/16 22:34
はじめこの作品とセクシュアリティを結びつける事には
自分も抵抗ありましたが、よく読んでいくと、そうだとしか言えない
部分があります。
シーモアが自殺した部屋番号は、「507号室」で、
そこにいるミュリエルが読んでいる本は「セックスは楽し、もしくは苦し」
拳銃の口径は、「7・65」・・・
つまり、部屋番号と口径数の中心に数字の「6」が来ているのです。
これがセックスを表すとしたら、除光液の香りは・・・ファッション??


170 :吾輩は名無しである:03/04/16 22:43
>>169
自分も悩んだ末
数にまつわる寓話みたいなものを一時期
調べた記憶がありますが
他作品との関連も考えると、そこまで数字に
どうこう拘るのは、なんか作品の印象と異なると思う


171 :吾輩は名無しである:03/04/16 22:45
>168
禁欲的、っていうのが、サリンジャー作品にぴったりですね(笑)
両方あると良いと思います。
禁欲的、快楽主義的 世界観で見てゆくのと、
男性的、女性的 世界観で見てゆくの。
そうすると、女性社会は快楽主義的、とシーモアには写ったのかも
しれないです。


172 :吾輩は名無しである:03/04/16 22:49
>>169
たぶん、この作品はサリンジャーにとって、一種の実験作、
だったのではないでしょうか。作中のシーモアとシビルが
数を問題にしている以上、数字にこだわるのは意味があると思います。


173 :吾輩は名無しである:03/04/16 23:07
その後の作品から入ったからかもしれませんが
自分は、女性的、快楽的社会に馴染めない
現代というシーモアにとってみれば非不条理的な社会に馴染めない
気真面目なシーモアの苦悩の末の自殺
と解釈しました

いってみれば、アメリカ文学の昔からの系譜の上に
位置するもんではないかと
戦争がえりの兵士が
周囲と馴染めないヘミングウェイの短編みたいに

174 :吾輩は名無しである:03/04/17 23:52
シーモアの自殺の動機は何も一つ、という事はないと思うのですよ。

>女性的、快楽的社会に馴染めない 
>現代というシーモアにとってみれば非不条理的な社会に馴染めない
>気真面目なシーモアの苦悩の末の自殺

これも自殺の動機としてあると思います。
ただ、それだけだと、、、その前の、例えばシビルとのやり取りや、
また、「明日」父親が飛行機でやってくるという事の意味付け
が行えなくないですか?


175 :山崎渉:03/04/19 22:52
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

176 :吾輩は名無しである:03/04/20 16:32
「眠り」で終わる小説〜
『笑い男』『エズミ』『フラニーとゾーイ』。
『バナナ』のシーモアもきっと最後に眠っただけだ。

「さあ、ちょっと寝よう。 急いで。 急いで、ゆっくり。」
(『シーモア―序章―』のエンディング)

作家としてのサリンジャーはいつまで寝てるつもりか?

177 :SARINGEL:03/04/28 00:19
JEKYLEとHYDEのTROJAN HAIR HIP STARとかJAZZ CAFE
あの娘はT型フォードのホッドロッドでスピンしてよだれ垂らしてた
LONDON,TOWER BRIDGE 腐った野いちご JUICER MIXER
二人で脱獄 シロップは真冬のエンジェル
HI-HO! MR J.D.SALINGER

生きてる時と死んでる時が実はそんなに変わらないことだとしたら
Baby それとももっとよかったりして
噴水とびあがった水 落ちてしまうまで短いと感じるのか
それとも長いって感じるのか

Ah.. HI-HO! MR J.D.SALINGER, Tell Me Why?
HI-HO! MR J.D.SALINGER,
Tell Me Why? Tell Me Why? Tell Me Why? SALINGER

COLD TURKEY 信じられるかな空を飛ぶなんて簡単なことさBaby
SEXY STONES RECORDS ぐるぐるまわってるぜ
SWITCH BLADE METAL KIDSたち 理由をつけたがるMONKEYFIRE
トレーラーハウス100階から落とすなんてひどいことさ

HI-HO! MR J.D. SALINGER, Tell Me Why?
HI-HO! MR J.D. SALINGER, Tell Me Why?・・
(SALINGER/BJC)

178 :吾輩は名無しである:03/04/28 00:30
JAZZ→JAZZY
理由→理屈
sorry...

179 :pontnord:03/04/29 01:40
〜〜 「ライ麦〜」で心理学、いやいや、精神(神経)医学のケーススタディ 〜〜
               「う〜ん、やっぱり実話をもとに書いてるのね・・・」

確か野崎氏のあとがきに、60年代か70年代に「ライ麦〜」が心理学の授業に使われて話題になったとか、作者が遺憾を示したとかあったけど、
それを読んで、僕は単純にホールデン君を被験体にして心理分析をやることだと思って、「小説の登場人物で心理分析をやるとは、なんとナンセンスな・・・」と閉口していた
でも、詳しく調べてないのだけど、僕のその考えは勘違いで、実際は恐らく個々の事例のケーススタディなんだろうね?

で、そう考えると、実は「ライ麦〜」は打って付けの教材になるのではないか?というお話
色々あるんだけど、例えば、

・ストラドレーターとのケンカのシーン
・アリーの亡くなった日の出来事

等の、非常に大きなストレスを受けた場合、人の精神はどのような対応(適応)を見せるか?なんてのの好例になったりするのではないかと。
で、もうちょっと突っ込んだ話で言うと、

・眠くならない
・汗が出る

とかいう、「生理現象」がどのように精神状態に影響されるか?なんてことが、正確にシミュレートされてるのではないかと。
これらの事って、文学の中では、表現技法として暗示的に使われたりするから、医学的、科学的根拠なんて、普通は求められないでしょ
というか、それは文学的な「お約束」で、誰も普通は、現実の事とは考えないよね?
でも「ライ麦〜」は、そういう因果関係が、かなり正確に現実に即して成立しているのではないかと
だから授業で使おうと思った先生もいたのかなぁ、なんて・・・



180 :pontnord:03/04/29 02:17
つづき
で、そう考えると、今まで文学的な「表現(暗示、象徴)」で書かれた、と思っていたものも、
実は科学的に実際に起こったことを単純に作者は書きとめただけなのではないか?と思えるわけです

例えばだけど、
・ケンカで相手の顔を見るのが嫌
・横断歩道の途中で消えてしまう気がする
・フィービーを見てると、なんか、とても幸せ
・ジェーンが何も言わずに、涙を流してから、着替えて元気になって戻ってきた

とかいうのって、よく何かの象徴として「解釈」されることがあるけど、それは違って、単純にある状況下において人間の身に起こりうる、生理現象なんではないかな?と
精神医学的に、科学的に理解できることであって、過剰にそこに(文学的)解釈(象徴)を求めるのは間違いではないかな?と・・・
やっぱりこの小説は、限りなく実話に近いのではないかな?

じゃぁ、文学じゃないじゃんって?そんなことないっスよ・・・

誰か医学生か心理学専攻の人が、医学的(科学的)正当性を証明してもらえんだろか?

というのも、前にも言ったけど、最後の4つの内の2つは、僕自身が実際に経験して、
僕の中では文学的な表現(創作)ではなく、実際に起こった現象であることが証明されちゃってるんだけど・・・
(ハイ、ハイ、そうですよ。・・・どうせ僕は、選民意識を持った「ブタ野郎」ですよ。ハイ、ハイ。(ブヒ、ブヒ・・・)

ま、実話に基づいている(脚色が少ない)ということは、作家の立場からすると、それだけ作家が真剣で、まじめに取り組んでいたとも言えると、僕は感じるんだけど
だから、過剰に象徴的解釈をするより、もっと、多様な現実に目を向けるべきだと思うんだよね・・・
世の中には色んな事が起こるのさ・・・

181 :pontnord:03/04/29 02:18
あ、話を「ライ麦〜」に戻してゴメン
「ナイン・ストーリーズ」続けてください・・・

182 :吾輩は名無しである:03/05/04 01:18
長いことロムらせてもらってたんですが、
スレ全体を通しての本職の方のような強者ぶりを拝見して
pontnordさんにお訊きしたいことがあります。
サリンジャー小説、出来ればグラス・サーガにおいて文体論を書くとしたら
どのようなアプローチの仕方、視点があるでしょうか。
卒論で取り上げたいんですが、良い切り口が見つからず困り果ててます。
グラス・サーガにおけるバディは全知の語り手でありうるか、というテーマも考えたんですが
担当教官に「それは卒論でやらなくても否でしょ、ていうか資料がないよ」とあっさり言われてしまいました。
図々しいのを承知でお願いします・・


183 :pontnord:03/05/04 22:59
>>182
実は僕は文学部しろうとで、専攻は経営関係だったもので、もうひとつ、文学研究の常識みたいなものに疎いところがあります
まぬけな質問かも知れませんが、
「文体論」とは具体的には何を論証するのですか?
文体の変化の変遷を比較したりするんでしょうか?
「バディは全知の語り手〜」というのは、それを受けて、彼が作者と同一であることを証明できるかどうかということでしょうか?

ひとつ思うのは、グラース・サーガという全体的なアプローチで論証を行うのは、あまりにも広範になり過ぎる嫌いがあるのでお勧めではありませんね
実際は、一連の連作と考えるには、それぞれの作品は異質で共通点のないものだと思うので、比較するならいくつかに絞り込んだほうがいいと思います
僕なら逆に、その差異や矛盾のほうに注目しますが、そういうことを言ってるのかな?

他のみなさんの意見はどうでしょう?

184 :吾輩は名無しである:03/05/05 00:41
>pontnordさん

レスありがとうございます。文学専攻ではなかったんですね。ものすごく意外です。
>文体論
わたしも上手く説明できないのですが、文体論は言語学と文学研究の中間に位置する分野とされていて、
文学を語りの構造や視点や話法、時制変化といった言語学的要素から読み込もうという試み、のようです。
全知の語り手というのは、18〜19世紀のイギリス小説(オースティンなど)によく見られる語りの形式で、
作者とも登場人物とも切り離された「語り手」がまるで全能の神のように登場人物の心境や
物事の原因、結果を語るのでこう呼ばれます。
わたしは「登場人物の一人であるバディが全知の語り手になりうるか」ということを問題にしようと思ったのですが、
言われてみれば確かに「フラニーとゾーイーにおいて」バディは全知の語り手か、
というように条件を絞ったほうがいいかもしれませんね。
あー、書いてたら担当教官の言葉が現実味を帯びてきた・・・
>差異や矛盾
具体例が浮かぶようであれば、是非お聞かせ願いたいです。
他の方の意見もお待ちしてます。

185 :pontnord:03/05/05 13:38
「サリンジャーはやっぱり、熟練のお笑い芸人? 〜バディの手紙〜」

白水社のホームページの「ライ麦〜」新訳、販促プロモーション(>>152)にて、
村上春樹:「これだけ弁が立って、頭がきれて、(中略)やっぱりどう考えてもホールデンを「普通の人」と考えることには無理があります」
角田光代:「〜けれどユーモアのセンスはずば抜けてすばらしい、〜」

などなど、ようやくのこと、自論を後押しするような、権威ある方々の発言にめぐり合えて、小鼻をふくらませる思いの今日この頃でありますが(笑)、
いうまでもなく、このホームページの3者の発言には、ボクには誤解と思え、ツッコみたくなる部分が山ほどあったりします(笑)
ま、それはまた別の機会に譲ることにしましょう(笑)

再三にわたって僕が言及する「サリンジャー=ユーモア達人説」に関して、以前、「ユーモアやウィットを表現する部分の作品における占有率」を調べると興味深いと言っていましたが、
その好例が「ライ麦〜」の他にあったんですね!

春樹氏の言葉を借りるなら、まさに作者の「オルタ・エゴ」とも言える、作中人物にして語り手の「B.」こと「バディ・グラース」による、
小説「ゾーイ」の冒頭でゾーイが読んでいる、長い長い「バディからの手紙」なんですね

つづく

186 :pontnord:03/05/05 14:04
つづき

今回、あえて、僕は作品を読み返すことをしていません
したがって具体的な検証もしていないのですが、その必要はもはやありませんよね?
なんと、この手紙、前人未到のジョーク率100%を達成していませんかね?(しかも、この長さですよ)

僕は以前、ホールデン君をマシンガントークの持ち主としていましたが、総大将のバディさんを忘れていました(笑)
「シーモア序章」もボケっぱなしなんですが、この「ゾーイ」における手紙は、人生の岐路に立つ実弟への責任重大な忠告(&告白)の「手紙」ということもあって、
バディさんが相当に時間をかけて、本腰を入れたことが想像できます
この人が本気をだしたら、恐ろしいことが起こるんですな

内容の方は非常に深刻なものが多いにも関わらず、バディは常にジョークを交えて語り続けます
いつ、いかなる時でも、彼はボケれるんですね
逆にちょっとした、お笑い中毒と言えるかも知れません
これのおかげで、彼の心の奥底にある悲しみや孤独といった感情は、他人の目からは完全に隠されてしまっているのかも知れません

でも、一家きっての切れ者のゾーイはそれに気づいているんですよね
だから彼は常にこの手紙を持ち歩き、何度も読み返しているのかも知れません

にもかかわらず、ゾーイはバカにしているかのように、妹フラニーの前でバディを悪く言ったりします
正に冒頭のバディの前書きにあるように、「一家の言葉は独特で、最短距離は円弧を描く」わけですな
この小説は「複雑な愛」について書かれているわけです


187 :pontnord:03/05/05 14:57
「〜 閑話休題  〜  「笑いを必要とする状況」とは何か〜逆境から生まれるユーモア」

前出、角田光代さん(>>185)はホールデンの持つユーモアについて指摘はしていますが、それをとりまく環境についてはもうひとつ考えが及んでいないように、僕には見受けられます

やはり、この「お笑い」の考察については、僕のような関西人に一日の長があるようで、おそらく関東なんかではお笑いについて真剣に考えることは、古典落語研究以外にない(笑)のかも知れませんが、
これについて、平成の天才芸人と称されることの多い(笑)、兵庫県尼崎出身のお笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志さんが、自著の中で興味深い発言をしています(ソース、忘れました。多分、初作の「松本」だと思うけど)

「〜どんなに頭の良いヤツがいても、そいつを笑わせれたら僕の勝ちやと思うんですよ。〜」

これって、関西の子供たちの間では結構、知られた価値観なんですけど、その生成には、実は様々な歴史的、社会的環境要因が考えられるのです
話すと長くなるので言いませんが(笑)、要はお笑いの感覚って、「逆境」を乗り切るための有用かつ、「切実」な手段として選ばれことがあるんですね
関西という都会は時に、正に逆境の街だったりするわけです

ということで、一足飛びに結論をだせば、これだけサリンジャーがお笑いに染まっているということは、裏を返せば、相当な逆境に立たされていたのではないかと推測されるのです

「その、逆境ってなんだろ?」

という視点がサリンジャーという作家を理解、解釈するにあたっては、致命的になるぞと
不思議なもので、ユーモアって、幸せのバロメーターなどではなく、その「真逆」の指標になってたりするんですよ
例えば、ホールデンも大好きなマキューシオ(ロミオとジュリエット)なんて、正にそうでしょ

188 :pontnord:03/05/05 16:11
>>184
レス、アリガト

「文体論」
>文学を語りの構造や視点や話法、時制変化といった言語学的要素から〜

・語りの構造、視点、話法などはすべて、小説を書く上での「技巧」であって言語学とは別範疇のものだと感じます
言うならば、作者は言語学を利用することはあっても、作品は言語学の対象としては一貫性に乏しいということかな

・技巧としてみる場合、作者の意図を探るという、ゲスな行為が必須となるのですが(笑)、僕はサリンジャーを一般的な文学表現の(確信的)破壊者と見ています

1)「ライ麦〜」における、破綻した構成(春樹氏も似たようなことを言ってたね)
2)「ナイン〜」における尻切れトンボな作風
3)「フラニーとゾーイ」における、平板で退屈な描写
これらは作者のオルタ・エゴ(!)であるバディが、作中で「商業作文」を教授していることを考えれば、矛盾する事実なのでこの辺の切り口は興味深いですね

サリンジャーって、いわゆるストーリーテリングの手法を拒絶していて、あくまで事実を客観的に述べるというスタイルだと思うので、「文体」のみを取り出して、そこに注目するのはちょっと無理があるかなと感じます
「ゾーイ」の中で、以前にも触れましたが、語り手であるバディがゾーイの行動に対して、思わず感想を述べてしまう部分が一箇所だけあり、
「フラニー」の中にも、語り手がフラニーについて批評を下すような部分がほんの少しありますが、その辺には作者の意図を探る意味で注目はしますが、あくまで作中人物の範疇を超える程のものでもないですよね・・・


189 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

190 :pontnord:03/05/05 16:58
>>184

「バディは全知の語り手か?」
全知の語り手という概念の捉え方からして、文学研究者達と、僕のような非文学系研究者との間にある、大きな溝の存在を感じます
どうも文学研究者というのは、作品を現実世界とも対等な、一つの自己完結する世界として捉え、文学を作者の存在からすら切り離して考えたがる傾向があると思うのですが、
私のような、非文学系の研究者からすれば眉唾モノで、例えば、登場人物に「人格」を与えて議論することも、節度をわきまえなければ、ナンセンスであると感じます
あくまでそれらは、作者によって利用される、舞台装置の一つであり、道具だと考えます
認識のお話で、これらの議論は他の場所に譲るべきですが、僕の個人的な望みとしては、是非、文学研究者の方々に、この非文学的研究方法を実践して頂きたいと思います

前者の、僕のいうところの文学研究的なアプローチを否定しても、充分、文学研究は可能であると思います
ただ、「特定の文学を肴に、あることないことまくしたてる」といった、一部の文学評論の、論理を寄せ付けない怪しい魅力は否定されてしまいますが(笑)

件の、小説における「全知の語り手」というのは、お聞きしていると、童話のような古典的な「物語り語り(ストーリーテリング)」の構成を持った作品のみに表れるもので、全ての小説作品に存在するというものでもないと思います
全知の神というより、あくまで表現技巧の一つ、といったものだと、僕などは感じます
小説表現の革新者であるサリンジャーの中に、その古風な概念の形式を見出そうとするのは、担当教官さんと一緒で、ちょっときついんじゃないかなと感じますね・・・

逆に思いついたのは二つの切り口、
・作者の存在の登場による、全知の語り手の存在の否定という表現方法のあり方
・小説における全知の語り手の存在の、歴史的変遷
これらをサリンジャー作品にからめて論じるのはいかが?

191 :pontnord:03/05/05 17:09
>差異や矛盾
スイマセン
また、今度やります

192 :182:03/05/05 23:44
丁寧なレス、ほんとありがたいです。
二週間後に卒論のレジュメ的なレポートの提出が迫っているのにまったく筆(キー?)が進まないので、
かなりうっとうしいと思うのですが間断なく質問させていただきます・・
>・作者の存在の登場による、全知の語り手の存在の否定という表現方法のあり方
つまり、サリンジャーが作中人物であるバディを作者として登場させることによって
全知の語り手という語りの手法自体を否定している、ということですか?
それとも「ハプワース」の締めくくりのJ.D.サリンジャーという署名と関係があるのでしょうか。

正直、188でpontnordさんがおっしゃっていたように、サリンジャーで文体論は厳しいと思うんです。
元々文学研究をやりたかったにも関わらず言語学系のゼミに入ってしまったがゆえに
苦し紛れで両方の中間領域と言われる文体論を考え、どうせやるなら好きな作家と思ったんですが。
とりあえず明日、担当教官にこの件で絞られる予定です。


193 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

194 :pontnord:03/05/11 15:42
本日の産経新聞の新作レヴュー欄に春樹訳「ライ麦〜」の、書評家・杉江松恋という方のレヴューが載っておりますが、見ました?

字数一杯に自身の個人的な(偏った)解釈を披露しようとする姿勢もいかがなものかと思いますが(笑)、まぁ、それは人それぞれなので百歩譲っておくとしても、
見過ごせないのは冒頭の一文

「〜サリンジャーのこの小説ほどさまざまに読解が試みられた小説は他になく、村上春樹もまた、読み手に自由な解釈を許す小説を書く作家だからだ」
(産経新聞 5/11 朝刊、p14)

春樹氏の作品自体がそのような自由な解釈を許容するような作品であるかどうかは放っておいたとしても(笑)、この春樹氏の「ライ麦〜」訳に関しては、それとは全く逆で、
原典に対する自由な解釈を許さない、春樹氏自身の個人的な解釈に基づく、解釈の「限定」が、至る所で行われているんですよね
(「脚注」が増えているにもかかわらずね(笑)
本屋でちょっと、立ち読みしただけなのに、目に余るものがありました(笑)
(詳しいことは専用スレの方に書きます)

翻訳に際して、どこまで翻訳家の解釈を優先させるべきかは、議論が分かれるところなのですが、少なくとも、どの程度、解釈が行われているかについては、最も留意されるべき点であると思え、
この産経新聞の一文は、その点について、無自覚で、誤解を招くような表現になっていると思えます

おそらくこの、杉江松恋さんも春樹マンセーの信者の方で、サリンジャーの方には大した関心も無く、恐らく原文の方もろくすっぽ読んでいないし、また読んでみようとも思わないような人なのでしょう(嘆)

サリンジャーを取り巻く、余りの逆境の凄まじさに、ただただ悲嘆に暮れるばかりですな・・・

P.S. 杉江松恋さん!解釈を披露したいのなら、是非このスレへ!と、とりあえず言っときますね

195 :pontnord:03/05/11 16:38
>>192=182さん
どのような質問にも丁寧にお答えしようという意識はあるのですが、担当教官さんとのお話の塩梅はどないでした?
あまり色よい返事は頂けなかったのではないかと想像します・・・
あれから色々考えてみたのですが、やっぱり厳しいですね
「ひねって、ひねって、接続する(=衒学的に詭弁を講ずる)」くらいしか残される道は無いようにお見受けしますな・・・

196 :pontnord:03/05/21 18:22
いまだ、さわりを立ち読みしただけの、春樹版「ライ麦〜」について・・・

まずは、良いニュースから

冒頭のサーマー校長のご令嬢、セルマ・サーマーの話をしていて
「僕はやっぱり、少しは女の子のいる"somewhere"がいいな」というところ

野崎訳では原文の言葉使いを意識してか、具体的な名詞をあてていないのだけど、
(この辺に野崎氏の熟慮の跡が見られるように思う。野崎マンセー!!)
春樹訳では明確に「学校」としていましたね

これも賛否両論だろうけど、より分かり易くなっていると思うので、
僕は後者の方が良いと思っていたりした・・・

てな感じで、
とりあえず、まずは「褒めた」ので、
次、言ってみよー、ツギィーーー!!!

197 :pontnord:03/05/21 19:53
「〜〜『翻訳』ではなく『解釈』〜〜
     村上春樹が「ライ麦〜」翻訳を思い至った理由って?  」

1)出版業界冬の時代、関係者がその商業的な訴求力にビジネスの可能性を見出そうとした
2)春樹氏自身の作家性維持、もしくは方向転換の為の必要性
3)春樹氏が「ライ麦〜」に関する、ある「解釈」を思いついたから

1)出版業界冬の時代、関係者がその商業的な訴求力にビジネスの可能性を見出そうとした
・本来、翻訳を作家に依頼するのはタブー?
・とくに、春樹氏のような、一癖あるベストセラー作家では、「公平性」にも疑問
・しかし、出版関係者は、「春樹ブランド」の持つ商業的な魅力に抵抗できなかった・・・
・巧くいけば、これをビジネスモデルとして確立し、「冬の時代」を乗り切る一つの手段としようとする胸算用が・・・

2)春樹氏自身の作家性維持、もしくは方向転換の為の必要性
・ファンが言ってた話。僕にはわかりません

3)春樹氏が「ライ麦〜」に関する、ある「解釈」を思いついたから
・本人いわく、「全ての登場人物はサリンジャー自身の自己投影」
 「ホールデンはもう一人の自分に語りかけている」(>>152
・すなわち、彼の解釈によると、登場人物は全て、実は「サリンジャー(ホールデン)」という一人の人格
・この解釈に基づいて、全ての会話文を修正してみると・・・
・誤訳うんぬんの議論すら寄せ付けないような「おかしな」翻訳の数々(専用スレ参照)
・実は、新訳ではなく、新たな「『ライ麦〜』解釈本」だったのねぇ〜
・言われて見れば、春樹氏の英語力についても大いに疑問?
 (http://www.japantimes.com/cgi-bin/getarticle.pl5?fl20021201a4.htm

198 :吾輩は名無しである:03/05/22 12:59
>>196
be somewhere は、例えばフットボールの試合(の応援席)と思ってた。
「学校に行く」だと{行く→通う}ってニュアンス違くなるような。微妙に。
まわりまわって同じことだし、大勢に影響ないんだけれど...

>この春樹氏の「ライ麦〜」訳に関しては、それとは全く逆で、
>原典に対する自由な解釈を許さない、春樹氏自身の個人的な解釈に基づく、
>解釈の「限定」が、至る所で行われているんですよね

これなんかも正にその類で、
原文がそうしてないのにあえて「学校」と限定するのは
よほど読者の読解力を信用してないのかなあ?

199 :我輩は名無しである:03/05/23 21:40
>>176 の言う通り 眠りで終わる これって今風に言えば「癒し系」?
エズミには感動した。
不思議な物語から傷ついて「きっと良くなるよ」と独白して眠るんだっけ。
手元に本が無いから間違ってたらゴメン
オレもうずくまるように寝ながらジーンと体がしびれてた。
忘れない
エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、
 あらゆる機──あらゆるキ─ノ─ウがだ、
無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね。

でもどうして「捧ぐ」になってるんだろう?
捧げられているのはサリンジャー自信の心なんだろうか?


200 :山崎渉:03/05/28 09:02
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

201 :我輩は名無しである:03/05/28 20:49
199 です。
自信の心→自身の心

間違えた です。

202 :吾輩は名無しである:03/05/31 15:33
「やっぱりサリンジャーは、マーク・トウェインが好き!!」

「トム・ソーヤーの冒険」

ハックフィン初登場の場面で〜
トム  :「Hello,Hack!」
ハック:「Hello,yourself」

「バナナフィッシュにうってつけの日」

シーモアがシビルの足にキスするシーン
シビル  :「Hey!」
シーモア:「Hey,yourself!」

203 :吾輩は名無しである:03/06/03 20:00
>202
で?

204 :吾輩は名無しである:03/06/11 02:00
サリンジャーについて、ラジオで爆問の太田が語ってた。
サリンジャーの娘の暴露本読んだ人いる?

205 :吾輩は名無しである:03/06/11 12:48
>>204
ジョイスメイナードでしょ?
フェミニスト的な内容(母親との関係やら結婚離婚、女の人生)そんな感じだったので、途中で読むのやめてしまった
サリンジャーの暴露本というより、ジョイスの自伝に過ぎない

206 :吾輩は名無しである:03/06/11 16:23
サリンジャーの実の娘マーガレット・サリンジャーによる
『我が父サリンジャー』っていうのがあるみたい。
子供の頃ニューヨークに出かけた時は
博物館や動物園や回転木馬、池のアヒル、など
ホールデンやフィービーお馴染みの場所へ連れて行ってもらったとか
書いてあるらしい

207 :我輩は名無しである:03/06/14 08:08
>>204
無料で本屋でくれる「波」6月号に川本三郎がその要約を書いてるよ。
益々欲しくなる

208 :我輩は名無しである:03/06/14 08:14
207です。
「我が父サリンジャー」は マーガレット・A・サリンジャー著
  亀井よし子訳 新潮社から ¥3200

高くて買えません・・・泪

209 :♪美香ファン♪ ◆Mika/.HGh2 :03/06/15 10:55
幼い頃は溺愛してくれたのに、
マーガレットが少しづつ成長するにつれて、
父サリンジャーのマーガレットに対する態度は
変わっていったようですね。
大人になることを穢れととらえていたのかもしれません。
マーガレットが風邪をひいただけでも、
サリンジャーは露骨に嫌な顔をしたとか。
あまりにも純真無垢なものに惹かれるあまり、
サリンジャーは神経がイカれてしまったのかもしれません。
また、サリンジャーはマーガレットが妊娠した時に、
「おろせ」と言ったらしいですね。
それで娘はキレたとか。

ちなみに、サリンジャーは、まだ、
森の奥で、淡々と、小説を書いているそうです(!)。
アーヴィングが過去の人、と評したサリンジャーがです。
未完で終わったような物語も、続きが読めるかもしれませんね。
フラニーとゾーイーとか。
たぶんサリンジャーが亡くなった後の話しだと思うのですが。

と、いうことです。

210 :我輩は名無しである:03/06/17 05:59
娘がベトナム戦争反対運動へでようとしたら
サリンジャーは
戦争には賛成だ
お前は大事な娘なんだよ って説教したらしいね

211 :吾輩は名無しである:03/06/17 06:55
>>209
フラニーとゾーイーは名作。未完じゃないよ!
サリンジャーが書き続けてるという話はよくきくけれど、
個人的には既出作品には手を加えて欲しくない気がする。

これは一般論だけど、作家のプライヴァシーを尊重しつつ
新作を気長に待つのが正しい?ファンの姿勢なのだろうか。

212 :吾輩は名無しである:03/06/17 12:16
>フラニーとゾーイーは名作。未完じゃないよ!

けどさ、結局シーモアはなんで死んだか説明がされてないじゃん。
続きで明かしてほしくない?? 続編きぼんぬ!!

213 :吾輩は名無しである:03/06/17 18:59
なんだかこのスレもそうだけど
板全体のレベルがすさまじく落ちてるな

214 :吾輩は名無しである:03/06/17 23:06
>>213
このスレのどのへんが?
君のレスはどれ?

215 :吾輩は名無しである:03/06/18 00:38
>>214
そういう
あんたがいちいちageるのとかさ

216 :吾輩は名無しである:03/06/18 00:39
>>209
過去スレ読めばそんな疑問言う時点で
おかしいと思うのだが

217 :吾輩は名無しである:03/06/18 00:43
>>213
以前は、いろはとか、ブーブーとか、603とか、個性の強いのがいろいろ
いたからね。
Pont nordも、ここんとこ御無沙汰だし。

>>216
フラニーとゾーイが未完というのはたしかに変だが、グラース家物語が
未完という意味だと思うぞ。




218 :吾輩は名無しである:03/06/18 00:53
>>217
>フラニーとゾーイが未完というのはたしかに変だが、グラース家物語が
>未完という意味だと思うぞ。

そういうことなら、まあいいけど
俺がいいたいのは、どうせ発言するならばそこまで明確に言えってことだし
サリンジャー読者として、そんなものは言うまでもない
共通の理解事項だろうってこと

まあ、ムキになってもしょうがないけど
今更こんなもん書かれてもね……

219 :吾輩は名無しである:03/06/18 01:28
>>218
それを言ったらおしめーよ

220 :吾輩は名無しである:03/06/18 02:14
フラニーとゾーイーの結末は
キリスト教徒でないと、ほんとの意味では感動できないのかなと

221 :♪美香ファン♪ ◆Mika/.HGh2 :03/06/18 07:14
あ、なんかすいません。皆さんの仰る通りです。
出かける前に一言。実の娘が、
「手直しが必要な作品」「完成した作品」など、
サリンジャーが几帳面に新作を整理していた。
と書いてあったので、その中に有名な未完のグラース家の物語が当然存在するだろうと。
それが楽しみで。僕は、フラニーとゾーイーが一番好きなんですよ。すいませんでした。

222 :我輩は名無しである:03/06/18 07:31
>>214 >>216 >>218
以上のカキコは翻訳口調になっちゃってますが
よっぽどサリンジャー(翻訳本)が好きなんジャー・・・ねぇ

223 :吾輩は名無しである:03/06/18 19:01
>>215
質問に全部答えて

224 :吾輩は名無しである:03/06/18 21:49
>>223
そういうデヴィッド・カッパーフィールド的はしょうもないあれこれを知りたがるのかもしれないな。

225 :吾輩は名無しである:03/06/18 21:59
雰囲気悪くしてる奴がいるな。

226 :吾輩は名無しである:03/06/18 22:19
「バナナフィッシュ」読んだけど、シーモアの自殺が納得できない、
『フラニーとゾーイ』や『大工らよ』や『ハプワース』も読んだけど
やっぱり納得できない、多分サリンジャーは続編で種明かしを用意し
ていたのだろう、だったら是非その続編を読みたい

と思うのは、ある意味で当然。
別に愚かではないと思うが。

227 :吾輩は名無しである:03/06/18 22:28
http://www3.diary.ne.jp/user/329573/

↑今日一番ワロタ日記

228 :吾輩は名無しである:03/06/18 22:28
http://www3.diary.ne.jp/user/329573/

↑なかなかいいこと言うてはる

229 :吾輩は名無しである:03/06/18 22:51
サリンジャーのいる森の住所はどこなの? アメリカならたまに行くから知りたい。

230 :吾輩は名無しである:03/06/20 16:52
建前的だが、ファンならそっとしてあげよう

231 :pont nord:03/06/29 02:59
「ド・ドーミエ〜」に関する高橋美穂子さんの評論を読んでいて、思ったんだけど
主人公が通信教育の生徒の尼さんに恋して、ラブレターを出すけど、
当の尼さんは会ってくれないでしょ
あれ、何故だと思います?

僕は、彼女が実は、若い女性に成りすました「おばあさん」であるから会いたくないのだと思ってました
(喜劇の古典プロットですな)

もうひとつ、高橋さんは評論の中で、彼女の趣味である
「落ち葉収集〜地面に落ちているものだけ」
を、彼女の繊細な性格の描写であると語っているんだけど、
これも、僕は
「仕事の落ち葉拾いをジョークで『趣味』と称している」
のだと思ってました

皆さんは読んでみてどう思われました?
随分長い間読み返していないので、僕もなんか間違ってるかも

(肝心の評論は、某有名サリンジャーサイト、a guide for salingerのサイト内で閲覧可能)

232 :pont nord:03/06/29 03:35
「ユーモアのわかりにくさ〜〜ユーモアとシリアスの『常識外れ』なまでの並存」

多くの一般人にとって、ユーモアや笑いと、悲しみや不幸、苦悩は、まず、並存しないと思うけど、
頭がよくて変わり者のサリンジャーの中では、グラース家のリヴィングの書棚のジャンル違いの本のように、まるで、当たり前のように並存してると思う
ゾーイが一番顕著だけど、バディもシーモアが亡くなった時、ミュリエルに会って、開口一番に笑ったりしてた

この対立項の並存が多くの読者を混乱させ、その結果、ジョークをジョークと認識させづらくしているのではないだろか

この両者並存の認識への突破口は、「エズメ〜」では否定されているように見えるのだが、
やはり、「小船のほとりで」のブーブーに見ることのできる、困難な状況の「ユーモアの精神による打開」ではないだろか

この考えに基づけば、ゾーイやバディが常にユーモアを忘れないことは、裏を返せば、
彼らは常に「困難な状況と戦っている」とも言えると思う

この「困難な状況」に言及すると、すぐに多くの論者が作者の「戦争体験」を持ち出すが、僕はそれは違うと思う
彼の作品の多くは若者について書かれてあり、その元になるのは、彼自身が若かった、戦前の経験に基づいて書かれていると考えるべきではないだろか

僕は「困難な状況」とは、「他人の悪意やエゴと、どう折り合いをつけていくか」ではないかなと思う
(自身のそれは?ってか?話がややこしくなるので割愛)

233 :pont nord:03/06/29 04:09
サリンジャーとは直接関係ないけど、ユーモアとシリアスの並存の例をいくつか

・出番前のお笑い芸人の表情
 =ピリピリして、とても怖かったりする(おぎやはぎは例外らしいが)
・ギャンブルする時の蛭子能収さんの目つき
 =バラエティ番組の愛嬌のある笑顔とは打って変わって、ひたすら怖い
・自身の映画のプレミア試写会における、友人のアインシュタインを隣に招いての、C・チャップリンの表情
 =高校の英語の教科書で見て、その意外な素顔にひたすらビビッた。どう見ても、僕には○クザのそれにしか見えなかった・・・(;゚Д゚)
・(蛇足)僕の書き込み
 =「(笑)」をつけないと、よくスルーされる・・・(笑)

(フッ・・・どれも、お笑い芸人関係ばっかりじゃないか)

ま、やっぱりユーモアとシリアスは対立項ではないってことか
余談だが、ロビン・ウィリアムスは、いまだに町に出て、ネタを仕入れるためにお忍びで、人間観察とかやってんだって
いやはや、頭が下がる思いですな

PS
ちなみに今回の一連の書き込みは、某素敵なサリンジャーサイトの運営者さんの書き込みに触発されたものです
本人がこれを見て、眉をひそめて訝る前に、告白しておきます(w
いつも楽しく拝見させて頂いております
草葉の陰から感謝を込めて、エールの秋波を送っておきますか・・・

234 :吾輩は名無しである:03/07/03 23:42
「いいかい、尼さんやなんかになるんならともかく、
さもなきゃ人間、笑ってる方がいいんだよ」(コネティカのひょこひょこおじさん)

「ユーモアのセンスがないから人生に太刀打ちできないって、父は言うんです」(エズメ)

サリンジャー作品において"笑い"が重要なのはわかってるけど、
『ド・ドーミエ』の尼さんが年を言わないからと言って
「若い女性になりすましたジョーク」とみるのは違うでしょ。
そもそも尼さんは若い女性になりすましてなんかないし、
ド・ドーミエが勝手に妄想したわけだし。
「趣味は木の葉収集〜ただし落ちてるもののみ」も、
自分の絵にサインを入れないのと同様の控え目さ、でいいと思う。
これらをジョークと取るべきフリも見当たらないし、ジョークと取ると
なんか小説として成り立たなくなっちゃうような気が。

あの作品でむしろ滑稽なのはド・ドーミエ自身。


235 :吾輩は名無しである:03/07/04 01:34
乾いたぞうきんを必死にしぼってる香具師がまだいたのか
信じられん

236 :pont nord:03/07/06 03:17
あ、あ〜む?
いやいや、もうちょっと絞るッスよ・・・

「ヨショト氏、実は、日本人じゃない説〜〜サリンジャーに見る『吉○新喜劇』?」
・ヨショトって日本人にしては変な名前
・実は日本人を騙る、エセ日本人?!(日系?)

・先生も校長以外はド・ドーミエ君しかいない
・そもそも、ド・ドーミエ君のような子供が先生になれてること自体ヘン?
(だって彼、変装してるし・・・)
・絵画学校の生徒に美大を目指すような生徒はいないかも
・てか、生徒の関心は添削ではなく、どうも、文通の方にあるらしい?

・この校長、ほんとに東京の大学出てるのかな?
・少なくとも奥さんは日本人ではなさそう・・・
・この学校おかしくないスか?

結局、ド・ドーミエ君のような高校生でも雇ってくれる学校は、こんなおかしな学校しかないってことか・・・



237 :pont nord:03/07/06 03:22
別に反論ではないんだけど、あの小説の登場人物ってまともなのが一人もおらんように思うのは僕だけか・・・

ド・ドーミエって、偽名だっけ?母方の旧姓だっけ?
今回書いた事って、お笑いマニアの僕の脊椎反射がかなり入ってるかも・・・

シリアスなテーマも扱われてるけど、この小説って、最初から最後までボケまくりじゃないかな?
ボケとシリアスドラマの並存って、我々関西人は、幼少の頃からテレビの「吉○新喜劇」でインプリントされてるので、すんなり受け入れちゃうんよね(笑)

PS
前回の書き込み、シリアスとユーモアの「並存」ではなく「並列」って言葉の方がふさわしいかも
両者に相関関係はないってことで
細かくてスマソ

238 :吾輩は名無しである:03/07/08 06:45
最近出版されたらしい、「ライ麦畑でつかまえて」の日本語の再翻訳、(村上春樹)
だれか読みまれましたか??
そして感想はどうでしたか??気になってます。
どのように表現や引用が違っているんですか。又、現代の表現方式を取り入れているらしいのですが、
どのような感じで違うのですか。お聞かせください。

239 :吾輩は名無しである:03/07/09 02:37
チョット前まで良スレがあったんだが。
一般書籍板にも似たようなのがあったよ

240 :山崎 渉:03/07/15 09:06

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

241 :age:03/07/27 15:59
>>238
http://book.2ch.net/book/kako/1038/10383/1038320047.html

242 :Daisy:03/07/30 13:30
誰かサリンジャーの血液型を知っている人、予想に自信がある人、いないかなぁ?このバナナフィッシュにうってつけの日をうみだした作家の血液型がしりたい

243 :吾輩は名無しである:03/07/31 19:36
バナナフィッシュにうってつけの日をうみだしたのは戦争体験
と言ってみるtest

244 :吾輩は名無しである:03/08/02 16:36
誤爆したかも

春樹もホールデンは精神病院に入れられたといってたけど、どこを読めばそれが明確になるんだろう?
単純に肺炎の療養で、その家庭で、カウンセリングを受けただけで
精神病院ではなく保養所にいたのではないのだろか?
なにか精神病院であることを特徴的に示す描写ってないよね?

245 :Daisy:03/08/03 18:09
243に対して。戦争体験が『バナナ―』をうみだしたのではない。作家がうみだしたのだ。ピカソが「芸術は悲しみと苦痛からうまれる」と言ったけどそれは違う。作家がうみだすのだ。

246 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

247 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

248 :吾輩は名無しである:03/08/04 00:30
バナナフィッシュにうってつけの日をうみだしたのは作家
と言ってみるtest

249 :吾輩は名無しである:03/08/04 00:50
バナナフィッシュ日和を生み出したのは戦争体験ではなく、
ディスコミュニケーションである、
と言ってみるtest

250 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

251 :吾輩は玉蜀黍:03/08/04 01:24
すいません、サリンジャーが村上春樹のことを酷評してるって
聞いたんですけど、本当ですか?

252 :吾輩は名無しである:03/08/04 01:42
>>244
ふつう肺炎の治療でカウンセリングは受けないのではないか?

253 :吾輩は名無しである:03/08/04 13:49
スレ違いでしたら申し訳ありません。
「ライ麦畑でつかまえて」を読んでみたいのですが翻訳者さんが色々ありますよね?
何処社の誰訳のライ麦〜が良いでしょうか?アドバイスいただけませんでしょうか。

254 :吾輩は名無しである:03/08/05 03:13
>>253
「ライ麦畑でつかまえて」という邦訳は一つだけ。
訳者:野崎孝、白水社Uブックス\820。
「累計250万部の歴史的名訳」だそうです。

他の邦訳は
1952年『危険な年齢』(橋本福夫訳・ダヴィッド社)絶版
2003年 村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』白水社\1600

255 :吾輩は名無しである:03/08/05 03:53
>>253
>翻訳者さんが色々ありますよね?

・・・て、色々なかったのよ、野崎氏のが定番で、それだけだったの、
長い長い間日本の若者は野崎訳「ライ麦畑でつかまえて」で
育ってきたわけでつ。
で、やっと春樹が今回、新たに訳した、物議をかもしつつも・・・
さて読まれているのか、思惑通りに売れたか、白水社、どうだ? 
苦戦中か?w

256 :253:03/08/06 18:11
ではまずは「野崎孝」氏翻訳版から入るべきですね。早速買ってみます。ありがとうございました。

257 :山崎 渉:03/08/15 10:15
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

258 :pont nord:03/08/17 04:43
改めて「ド・ドーミエ〜」を読み返したけど、やっぱりボケっぱなしで、シリアスプロットと思えた部分はわずかに以下の3つのみ
これら以外は、全てボケか前フリのどちらかであるといっても、過言ではないのではないだろか?

・母を亡くして、とてもとてもひどい心理状態になった
・都会で非常に孤独を感じた
 (以上の2つは含みをもってほのめかされるだけ)
・一人ごちていた自分に気が付いた(大人になった)
 (メインプロット。「everybody is a nun.」のところ)

しかし、文章があまりにもくどくどしく、入り組んで複雑なので、容易にはそれとは理解出来ないかもしれないし、
しかも、野崎氏の翻訳は、直訳にこだわる余り、日本語の流れがぎこちなくなるので、いよいよわけがわからないかも


「ハッピーエンドの『ド・ドーミエ〜』とアンハッピーエンドの『テディ』
                〜〜極端な対比を見せる『ナイン・ストーリーズ』」

それはさておき、今回注目したのは、この後の「テディ」へと続く流れ
年代順に最後の2編になってはいるけど、内容はまるで違うこの2編

「ド・ドーミエ〜」
・父との確執、和解や、挫折や失敗、失恋などを描いた、いわゆる青春コメディー
・サリンジャー作品の中でも、唯一と言っていいような、影の無い、能天気なハッピーエンド
 (しかも最後は、バンビ・クレーマーのオチで、見事に閉める、コメディーの定石)

「テディ」
・仏教の形而上概念を議論する、天才少年の求道流転の物語
・家族、兄弟との不仲の末のアンハッピーエンド(しかも、尻切れトンボ・・・)

まるで毛色の違う小説を、無造作に並べただけに見えるけど、そこには実は、こんな狙いがあったのではないかな?

つづく

259 :pont nord:03/08/17 04:45
「サリンジャーが訴える哲学〜〜物事の差異を超越する仏教的概念」

「ド・ドーミエ〜」
・「全ての人間は尼僧である」
・(最終的に、シスターアーマとその他の生徒達も、誰も彼もが同等の存在となる)

「テディ」
・妹=神
・ミルク=神
・すなわち、妹=ミルク
・妹がミルクを飲む行為とは、神を神に注ぐこと

「ゾーイ」
・全ての人間=太っちょのおばさん
・太っちょのおばさん=キリスト
・すなわち、全ての人間=キリスト
・(キリストも我々と比べて、特別な存在ではない?)

「大工よ〜」
(冒頭の中国の故事)
・毛色や雌雄の差異にとらわれない

他にも探せばあるかも知れないけど、サリンジャーは一貫して、物事の差異を超越する、仏教で言う「色即是空」的な概念を訴え続けているように思える
これに照らして考えれば、まるで系統の違う小説を並べてしまうのも、この差異を超越する概念の象徴であり、
献辞の隻手の公案も、同じ象徴として、書かれたと言えるかも

「片手の音も聞こえるはずだよ」
ってことかな

(しかし、自らそう言いながらも、私はあくまで、「献辞はお茶目なジョークである」と考える気持ちに変わりは無い・・・)

260 :pont nord:03/08/17 04:46
「サリンジャーは、本当に戦争について書いていないのか?」

春樹氏は対談の中で、サリンジャーは戦争について書くことを避けていると言ってるけど、僕にはそうは思えない
ブーブーも軍人なんだけど、ナインストーリーズにしても、9編中6編が何らかの形で大戦の影を映している

確かに、腸が飛び出したり、血まみれのちぎれた腕や足が飛んできたりという、映画の「プライベート・ライアン」にあるような、いかにも春樹が好みそうなグロイ描写はほとんど無いけど(「エズメ〜」にはある)、
D.B.の言葉を借りるまでも無く、そのような凄惨な戦場を描くことだけが、戦争小説では無いはず

サリンジャーが作家として特徴的なのは、一貫して(戦後)、軍を否定し、批判する文章を書いていること
「ライ麦〜」では、「アメリカ軍もナチと同じ」とまで、書いている

一度は身体検査で落とされながらも、わざわざコネを使ってまで大戦に参戦した人間の発言だとは、とても想像できない発言だと、僕には思える
日本人の感覚からすると、軍を批判するのはむしろ健全な行為だけど、銃に「PEACE MAKER」と名づけるようなアメリカ国内では、
健全どころか、むしろ非国民として後ろ指をさされかねない発言だと思う

このような、政治的な立場を考えた場合、
むしろ、大戦に対して、かなり積極的な発言をしていると言えるのではないだろか?

確かに参戦して、考えが180度変わるような苛烈な経験をしたはずで、僕はその中に、同国人によるユダヤ人差別もあったのではないかと思う
(他にも色々考えられるけど)

261 :pont nord:03/08/17 04:47
「サリンジャー作品における父と子の関係、宗教、民族差別〜〜作家の持つトラウマ、自己のアイデンティティーを確立する必要性」

サリンジャー作品で特徴的だと思えるのは父と子の関係
大体にして、両親とはうまくいってないのだけど、特に父親との関係があまりよくない

「ド・ドーミエ〜」
・「お先にどうぞアルフォンソ」的、よそよそしい関係
・(亡くなった母をめぐってライバル視)

「テディ」
・カバンの上にのる息子に対して、ひどい言葉でののしる父

「ライ麦〜」
・「母親と違って、椅子でぶっ叩いても目を覚まさないほど無神経」
・「父のような仕事には就きたくない」

「ゾーイ」
・家族の危機にあって、見てみぬふりを決め込む、役に立たない父

仮にこれらから、サリンジャーが父親とうまくいっていなかったと考えると、心理学的に言って、

1)父を肯定できず、したがって自分自身をも(少なくとも半分は)当然のようには肯定できなくなる

ような、自体が起こりうるのではないだろか

つづく

262 :pont nord:03/08/17 04:48
さらに、グラース家の両親がダンスも上手なエンターティナーであったことから考えて、
サリンジャーは父方のユダヤ人としてより、自分自身を、母方のアイリッシュとして見ていた面が強かったのではないかと僕は考えるんだけど、
逆に、そうだとしても、彼が民族差別に晒されるときは、先ほど書いたように、世間の趨勢として、アイリッシュとしてより、むしろユダヤ人として差別されることのほうが圧倒的に多かったのではないかと思う

2)自分のことをアイリッシュだと思っても、世間はユダヤ人として彼を見るし、ホロコーストの問題もあって(彼は志願して参戦しているので)、自身もそれを否定できない

しかも彼は、母親の、結婚のための改宗を経験している

3)母親の改宗を経験して、キリスト教など、信教行為への不信感が募り、無垢にキリスト教を受け入れることが難しくなったのではないか

以上3点から、彼は早くから、自身のアイデンティティが曖昧で確固として確立できない状態にあり、それが彼を、独自の価値観や宗教哲学を確立させる行為に向かわせることになったのではないかと僕は考えるけど、どうだろう

そして、このような自己同一性の危機に恒常的に晒されることが、逆にそれに対抗するために、彼のユーモアセンスを鍛えたのだ、とお笑いマニアの僕は考えてしまう
(多くの芸術と同じく、ユーモアも、苦悩や困難の中から生まれる・・・と言ってみるtest)

263 :pont nord:03/08/17 04:53
「最後にちょっと、野崎訳について」

>254にもあるけど、確かに「ライ麦〜」はなかなかの名訳だと思うけど、その他のものに関しては、野崎氏は直訳や逐語訳にこだわるので、
むしろ研究ではなく、普通に小説を鑑賞することを考えた場合は、決していい訳だとは言えないと思う

それでも僕が彼を好きなのは、学者として、自身の中に、作家が持つような「芸術的創造性」の可能性を、潔く否定して、
内容や意味を伝えるのではなく、あえてそれらを放棄し、学術的、論理科学的な逐語訳、直訳にこだわったところに、作家と対極にある「学者」という存在としての「学者魂」を感じるからです
(半端な小説家くずれでも、迷走する小説家でもないということ)

日々の努力のおかげで、以前よりも英語力が上達したので、今回、頭の中で翻訳をしながら「ド・ドーミエ〜」と「テディ」を読み返してみたのだけど、
内容をよりよく伝えようとすると、案の定、野崎氏とは比べ物にならない、原文の言葉遣いなど、想像も出来ないような、とんでもない「意訳」になってしまう

言語体系も違い、言葉や慣用句が、「一対一」対応するわけでもないので、やはり、大きな「翻訳の限界」の壁を痛感した

で、そんなことを言いつつ、今回、野崎氏の翻訳にちょっと疑問を感じる部分もあったので、次回にでも、それについて、ちょっと皆さんの意見を聞いてみることにします

((´-`).。oO・・・さすがにツカレタ)

264 :吾輩は名無しである:03/08/17 21:05
>>258-263 長っ! いや乙彼
前半部分ほぼ同意です。
僕の考えでは、サリンジャーはストーリー・テラーであって
主眼はあくまでストーリーそのものに置いてる。
で、その中に普段思ってることを折り込んでるって感じ。
それが自己ID、エゴの離脱、ユーモアの重要性、戦争の愚かしさ、
アンチ精神分析、アンチ学校教育、禅思想、セックス問題etcで、
サリンジャーのどの小説にもそれらのどれかが含まれてると。

サリンジャー本人については、実際父親と上手くいってなかったみたい。
自分をアイリッシュ系とみたがっていたかはわかんないけど、どっちみち
アイリッシュもJFKが大統領になる前はアメリカじゃマイナリティだった?

翻訳については、自分のレベルじゃライ麦が精一杯。
Tryしたけどドーミエなんかフラ語もあるし言い回しも難しかった。
でもKykeとKyteをユダ公と凧に訳すなんて上手いと思った。
I'll Queen Mary youもそつなく訳してあると思う。

265 :吾輩は名無しである:03/08/17 22:32
>>261
うん、そう。
サリンジャーの小説では母親に比べ父親があまり目だたないんだよね。
もっとも男の作家の書くものはたいていそういうものだという気もする。

>>264
kikeとkiteですね。

266 :264:03/08/18 23:23
>>265 訂正thanx

もひとつ訂正 翻訳 → 原書 でした。

267 : :03/08/22 07:23
バナナフィッシュにうってつけの日の、シーモアが少女の土踏まずにキスするところと、
エレベーターで一緒になったおばさんに、僕の足を見てただろと言う場面何らかの関係あるのかな?
どちらの言動も全く理解できないんですが

268 :淳一  ◆gw2dosUH0U :03/08/22 10:11
良スレ。
あげ。

269 :淳一  ◆gw2dosUH0U :03/08/22 10:57
バナナフィッシュって。
最初の段落の、電話の会話で、主人公の狂気を知らせておいて。
子供との共感と交流の段落で、純粋さを表現し「嫁が言うほど狂った奴じゃないじゃん」と思わせておいて。
最後の段落で大人世界においての不適合さ。狂気を演出した上でたたみかける様にラストに持っていく。
その構成の上での象徴だよね。面白いと思う。

270 :吾輩は名無しである:03/08/22 11:07
みんな小難しいこと考えながら読んでるのね。

271 :吾輩は名無しである:03/08/22 12:47
>>267
前者の場面のエロティシズムに背筋がゾクッとするようになれば
キミは大人の仲間入りだ

272 :吾輩は名無しである:03/08/24 05:55
a guide for Salingerというサイトでいろんなサリンジャー書評が読めるんだけど、
「J.D.Salinger の "A Perfect Day for Bananafish" 解釈」小林恵昭著 1966
が興味深い。
それによると、バナナフィッシュの2年前のある精神分析医のレポートに、
精神的原因による色盲、刺青への執着、コネチカにいる友人シーモアなどが
書かれていて、サリンジャーはこれをヒントにしたのではないかとのこと。
十分ありえると思う。ただ小林恵昭氏の解釈はサリンジャーが精神分析に
興味を持ってたってことだけど、むしろサリンジャーは精神分析批判の立場で
パロってみたんじゃないかという気もする。

273 :吾輩は名無しである:03/08/24 06:55
>>55
小谷野敦の「サリンジャーを正しく葬り去るために」は、

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791759621/ref%3Dpd%5Fsim%5Fdp%5F4/t/249-3529724-3830742

こちらの「聖母のいない国」のことでしょうか?この方は、サリンジャーがお嫌いなかたなのでしょうか?
この本って、某板の、不毛な追いかけっこをくいとめるのに一役かってくれないかな...この際アンチでも良いから...。

 でないと、いい加減、埒があかないのです、そしてそれは、サリンジャーや彼を本当に必要とする読者に、
とても有害だと思うのです。
 
 色々と、調べて真意を知るのが、良いのはもっともなのだけれど、
最近は、サリンジャーって、私たちが考える以上に、自分の作品が人を救えると信じているのかなと思えて、
そのためには、誤解されるのもいとわないのかもしれない。
 だからこそ、隠遁生活をして、作品を探られて出てくるところの結果をはぐらかしているのではないのかと、
そんなきがしてきました。
 そう考えると、この本の真意を語るには、よっぽど慎重な行動のできる立場でないと嘘になるきがしてきました。
うまく言えませんが、そう思えてくると、かつて誤読を容認してるため、依存気味のキチガイかと思ってた人が、
本当に好きだからこそ、誤読をすすめていたのかもという気がしてきました。
 こんなこと、自分が思うともおもいませんでしたが。
 誤解してるほうが、自分の考えがもてるから、それが救いになって行くようなところがあると思うのです。
なんにせよ、このままでは私はサリンジャーが嫌いになりそうで、
 是が非でもこの騒ぎを逃れたいのです。

274 :吾輩は名無しである:03/08/24 12:52
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791759621/qid%3D1061697004/250-3507083-9881068

リンクこれでした。まだ.売ってるみたいだ。

275 :吾輩は名無しである:03/08/28 22:05
今、野崎孝さん訳の「ライ麦畑でつかまえて」を読み終えて、とても気に入りました。
今まで読んだ本の中で一番といってもいい(といっても今まで7冊くらいしか本を読んだことが無い)
それで、村上春樹さん訳も読んでみようと思うんですが、こっちの訳はどうですか?
なんか、Amazonで酷評されてますけど・・・。

276 :吾輩は名無しである:03/08/28 22:17
ライ麦畑、最初読んだ時さっぱりわからなかったけど
村上春樹が書いたのを期に、野崎さんのを読んでみたけど
なかなかいいねぇ。読解力がないのかな。最初読んだ時
なんってクレイジーなとおもったけどw
名前忘れちゃったけど、主人公の彼が好きだとおもう相手は
彼の「好き」の対象ではなりえないひとばかりなのね。
もう死んじゃってるとか、友達のおばさんとか、歳がはなれてる
妹とか。フィービーのダンすとダンすの間に直立不動で待ってなければ
ならないなんってところ、彼の愛する人達は真面目なひとたちばかりだと
おもったりして、そんなところが青春文学なのかな?
でも、村上春樹は、ちょっとこわいらしいねw野崎訳でも充分
こわかったけど

277 :吾輩は名無しである:03/08/28 22:22
>>275
他人の批評なんてどうでもいいから、読んでみ。
まだ野崎訳の余韻が残っているうちに。

非常に勉強になると思われ、単に翻訳ということだけなく、
言葉について、文学の成り立ちについて、表現手法について・・・
絶好の学びの機会だから、逃すな。
君は正直でマジなようだから、薦める。

278 :275:03/08/28 22:30
>>277
そうですね、読みますね。
家の母親が、野崎さん訳・村上さん訳、両方買ったのに読まずに捨てたように置いてあったので・・・。
自分は読みたい本を買って、それが、つまらなくても読み終えるまで次を買わないんだけど大人は違うんかな。
何にしても、村上さん訳が気に入らなくても「買って損した」感を味わわないで済む(・∀・)

279 :pont nord:03/09/07 03:31

原文読みって大変だけど、かといって、学校の英語のテストでいい点取ってても、そんなことは、原文で読むのに大した足しにはならんと思う人、他におるかな?

逆に、日本の学校の英語のテストの感覚で、原文で小説読んでると、なんか弊害の方が多い気がする
(「じゃぁ、なんの感覚で読めばいいんだ?」って話になるけどね)

春樹の冒頭の
「全部は話してないんだ。兄貴なんだけど、それでもね」
とかいう訳し方って、
いかにも、そういう日本の英語テスト的な翻訳(解釈)のしかたで、普通の英会話における解釈の仕方とは、まるでかけ離れていると感じたんだけど、そんなことない?

彼の英語のインタビューの返答読んでても、なんか英語のテストの英作文の答案を読んでいるようで、まるで会話のように感じなかったのは僕だけだろか?
もともと、質問に素直に答えることを良しとしないような人だろうから、余計にぎこちなく感じたのかも知れないけど
(事前に質問内容を渡されていたからだろか?)

春樹訳については僕は条件付だけど、野崎訳と読み比べてみるのは、興味深いことかもね

大学の文学部では、翻訳それ自体のあり方、手法についての研究とか講義とかってあるの?
あまりにも基礎的な事柄で、研究対象にはならんのかな?
それとも逆か?

小説の翻訳って、解釈や文化比較、文化理解があったりと、卒論としても十分、というか、文学者にとっての、究極の研究に成り得るんじゃないか、と思ったりもするんだけど

280 :pont nord:03/09/07 03:51
というわけで、何が言いたいかと言えば、
原文読みするのに、学校の英語のテストでいい点取ってる必要はないってこと

要求されるのは英語のテストの偏差値ではなく、英会話の能力であって、学校の勉強なんかとはまるで別物なので、
そこのところで、原文読みを敬遠してる人がいるなら、それは違うよと、言ってあげたい

アメリカに行ったら、偏差値の低い人でも、英語喋ってるわけだからね

以前にも言ったけど、僕が大学生で、初めて原文の小説に触れた時、英語で書かれたアメリカの児童向けの読み物が、
自分にはさっぱり読めないということに気づき、驚愕した経験があります
得意科目を常に英語と答えていた自分が、今まで学んできたものって、いったいなんだったのかと、
日本の教育制度に対して怒りを覚え、こぶしが震えました(笑)

最近の英語の授業では I'd like to〜 とか習うようになったのかな?

281 :pont nord:03/09/14 04:16
「洋楽CDに例えよう!〜〜邦盤の野崎訳に対して、邦人remixの春樹訳」

くどい!・・・くどい、とは知りながら、春樹ファンに誤解されないために・・・

両訳の大きな違いは、翻訳者による解釈の介在の度合いだと思うんだけど、僕は決して、春樹訳における文学的価値の有無の可能性を否定している訳ではない

そこでわかりやすく、原文の「ライ麦〜」を洋楽CDの輸入盤に例えると、両者はこんな感じじゃないかな?

野崎訳
A)邦楽出版社による、輸入盤に対する「邦盤」
(国内盤。ローカライズ済み。歌詞カード付き) 
(※実際は輸入盤に対する邦盤ほど同一であることはあり得ないので、よりマニアックに言えば、マスターテープからの一発本番リマスターってとこか)

春樹訳
B)国内、邦人有名DJによる、remix盤(12inch)
(マスターテープを「音源」として、新たなビート、リズムを再構築)

で、多くの「ライ麦〜」ファンが春樹の新訳に求めていたものは、
C)オリジナルマスターテープからの、最新デジタル技術を駆使した、デジタルリマスター復刻盤(コレクターマストアイテム(笑)

このBとCの齟齬が問題になってるんじゃないかと

音楽にあまり興味の無い人には要説明かもしらんが、いい線いってんじゃないかと、こらえきれずに自画自賛・・・

「ああ、あの曲、聞いた聞いた」
「あ、でも、それリミックス盤でしょ?」
「うん。でも良かったよ」
「いやいや、でもオリジナルはちょっと違うんよな〜」

282 :吾輩は名無しである:03/09/19 01:19


283 :吾輩は名無しである:03/09/27 17:23
よく考えてみれば、
春樹訳も野崎訳と同じ白水社から出てるから
野崎訳が売れなくなると困るわけで、
新訳は新解釈による別モノとなるのは当然だし、
だからこそ翻訳専業の人でなく作家に依頼したんだろう。
でも多くの人は春樹訳の帯の「新時代のライ麦〜」に釣られて
リマスター的なものを期待してしまったんだろうな。

『翻訳夜話2』という本では「あーむ」などには一切触れず、
ひたすら春樹の解釈による「ライ麦」論が展開されてる。
それだけ春樹訳では作品の解釈がポイントということ。
でも春樹の解釈を知りたければ『翻訳夜話2』を読めば
済むことで、春樹訳は必要なかったと後で思った。
サリンジャーのファンとしては、
こうゆう商売は他でやって欲しかったよ。

284 :pont nord:03/10/05 01:02
「『コネチカット〜』に見る、サリンジャーの精緻な技巧〜〜パズルや象徴ではない、丁寧に造りこまれた写実描写、会話」

・「物語を語る」のではなく、切り取った現実を「史実」のように、そのまま提示する、サリンジャーの作風(アメリカ流?)
・内面の心理描写、暗示的情景描写は無し(邦人作家とは対照的。反対意見あるかな?)

こんなわけで、我々日本人には、しばしば、非説明的で難解、不親切に思えるサリンジャー作品だけど、今回、「コネチカット〜」を読み返して、改めて感じたのは、淡白な写実描写だけで作品を成立させ得るだけの、

・徹底して造り込まれた「会話」のリアリティ
でした

特に会話が精緻なガラス細工のように、微妙で丁寧な作りこみによって成立しているがゆえ、サリンジャーは、誤字の訂正といった、ほんの少しの変更すらも許可しなかったんじゃなかろか
(※「ライ麦〜」のイギリス版は、誤字や表記が出版社によって勝手に訂正されたらしいが、サリンジャーは未だにそれを認めていなくて、オリジナルのアメリカ版については、明らかな誤字すらも訂正させていないらしい)

無口な炭焼き職人さながら、黙々と「会話」と「写実描写」だけを積み上げることによって「人物」を描いていくのだとすると、意外なことに、サリンジャーの作風は、レトリックやギミックを使わない、「力技」、ということになる
そうだとすると、彼の作品は、ささいな言葉使い一つすら見逃さない、総当りで横着なしの「注意深さ」を読者に要求することになる
逆を言えば、「象徴」や「トリック」といった、いくつかのキーワードによる「単純化した理解や解釈」は通用しないんではないかと

しかし、そうだとすると、サリンジャー作品って、いやに面倒な小説だと思うかも知れないけど、要はギミックなしで、体当たりでぶつれってことか
実際、尽力や好奇心が十分に報われるだけの、含蓄ある作品なのではないかな?

ところで、会話のどの辺が精緻なガラス細工なのか、具体例はいずれ・・・

285 :pont nord:03/10/05 01:06
「『バナナフィッシュ〜』〜〜ヨーロッパというバナナ穴にとらわれてしまったシーモア」

以前と言ってることが180度変わってるように思われるかも知らんが、そうでもないということで・・・

・バナナ穴     =ヨーロッパ(仏国。体が弱いが仏語を喋れるサリンジャーが、戦闘より、むしろ尋問や聞き込みをやったと思われる第二次大戦の戦場)
・バナナフィッシュ =米軍
・バナナを食べる =戦闘、作戦
・バナナを食べすぎ=?(絶版の短編「最後の休暇の最後の日」にもある、サリンジャーが黙して語らない部分?)

こんな風に考えると、なんかすんなり全体が理解出来る気がした

ちなみに
・シーモアが自殺のために使った銃は、「米製」ではなく、ヨーロッパで手に入れた可能性もある「ベルギー製」(オーストリア製だったかな?)
・ナチスの国である敵国ドイツに、才能ある詩人を認める
この辺から見ても、正義のためと思っていた「大戦」について、懐疑的になっていた様子が伺えるかも

最後の「足を見る」について
・色白で、不健康そうに痩せてるシーモアは、海から上がってきたばかり(体が濡れてる)
・しかし、天気が良く、暑い日にもかかわらず、彼は「バスローブの襟をぴったり」あわせて、まるで寒さに震えるかのように、「怒ったような」顔で乗り込んでくる
・誰が見ても、ちょっとヘンな感じではないかと・・・
・おかしいと思った奥さんは、シーモアの様子を盗み見ようとするが、バスローブのせいで、顔以外は見えるのは「足」だけ
・目を合わせるとやばそうなので、仕方なく、なんかの病気かと足を見てみたと

つづく

※「最後の休暇の最後の日」は、荒地出版から翻訳が出てますが、ネットで検索すると・・・

286 :pont nord:03/10/05 01:18
つづき

「ホールデンにも共通する、シーモアの転換点〜〜子供が大人になる瞬間」

シビルと海に入る前後で、極端に違うのは「タオルやローブの扱い方」

・海に入る前・・・・・丁寧にたたむ
・海に入った後・・・ポケットにくしゃくしゃと詰め込む

きっと、この両時点の間で、シーモアの心理状況が変化する「何か」があったに違いない

それは何かと言えば
・「バナナフィッシュ見えた!」と言って、シビルがシーモアの悲しいジョークに「合わせた」こと
ではないかな?

もちろん、幼いシビルに、シーモアがその言葉に込めた意味が分かろう訳もなく、「何匹?」と聞かれても、シビルには適当にしか答えようが無いんだけど、
・子供には見せたくない「戦争」を、図らずも垣間見せてしまった
・子供にとっても「戦争」は不可避な存在であると感じた
とか、感じてしまって、ちょっと嫌な気持ちになってしまったかも

もう一つ、
・面倒を見てあげていたつもりのシビルに、自分の方が気を使われた
というのが、実は重要なポイントなのかな?
子供扱いされたようで、自分の非力を感じたのか、まだはっきりとは分からないのですが、この構図、どっかで見たと思ったら、「ライ麦〜」のホールデンが、フィービーによって家出をやめる決心をするところと似てない?

なんかこう考えてると、「バナナフィッシュ〜」のシーモアの姿に、70年代にアメリカで社会問題になった「社会復帰出来ないベトナム帰還兵」の姿が重なってくる気がする
戦争には勝利したのに、正に、歴史の陰の部分って感じですかね・・・
でも、その後の「グラースサーガ」を見てると、このシーモアの自殺に「第2次大戦」を見るのは違うのかな?と思えてしまう
その辺のややこしい話も、いずれ・・・

ところで、ぴったりとローブの襟を合わせて肌を見せないのってなんでだと思う?
自分を恥じとるのかな?(ちなみに刺青があるというのはジョークらしい)

287 :吾輩は名無しである:03/10/05 23:53
Pont nordさんの独り言スレと化しつつあるので、ちょっと参戦。

シーモア不能説というのは既出?
新婚旅行中であるにもかかわらず妻をひとりで部屋に残している点、
ローブの襟を合わせて肌を見せない点、「足を見る」などは、彼が
戦争で肉体的もしくは精神的に傷を負い、不能になったと考えれば
納得はいくのだけれど・・・

ただ、主人公の名前がシーモア・グラースでさえなければ、この説
をとりたいなあ。

288 :吾輩は名無しである:03/10/06 00:54
じゃ俺も参戦。

シーモア不能説は知ってるけどイマイチよくわかんなくて、
風呂上りのゾーイの体に母親ベシーが触れたときの極端な拒否反応とか、
アントリーニ先生の行為とホールデンの反応とか、と
なんか共通するところがある気がして引っ掛かったままなのです。

でも「バナナ〜」のおばはんは本当に床を見てただけと思うな。
シーモアの言いがかりというか、
それまでのシビルとの会話の延長と思う。

289 :288:03/10/06 01:08
あとさ、シビルの水着の色を見間違えるのは
精神的要因による色弱状態なんて説もあるみたいだけど、
ただの言葉のあやじゃないか?と思うんだけど。

「大工達〜」で出てくる名馬探しの達人と同じ境地にいる、
って言われても正直よくわかんないのだ。

290 :吾輩は名無しである:03/10/06 19:17
『大工たち〜』の名伯楽の話って、中国の故事でしたっけ?
うーむ、記憶があやしい。

291 :吾輩は名無しである:03/10/11 00:36
サリンジャー作品の解釈って色々あるけど、
自分にはう〜ん?て感じ。
アントリーニ先生とジェイムズ・キャスルとホールデンの
三角関係説とか
ラモーナの父親はウォルト説だとか。

292 :吾輩は名無しである:03/10/25 23:09
ラモーナの父親はウォルト説ってのは、解釈っていうか、映画化に当たっての、筋書き変更だったんじゃない?
米国では、スポンサーの意向とかで話の筋とか変えるのってよくあるみたい

そういう話ではないよな、と思うけど

293 :吾輩は名無しである:03/10/27 01:20
マイ・フーリッシュ・ハートかぁ。細いとこ忘れたけど、
たしか原作の部分は最初の5分ぐらいで、あとは
エルの回想シーンがメインで延々続き、最後に
ルーが帰宅して一騒動。と、原作とはカケ離れてたっけ。
ハリウッドの脚色なんてそんなもんだろうけど、
サリンジャーは激怒するわな。

294 :吾輩は名無しである:03/11/01 07:21
新しく出たサリンジャーの伝記
ありゃ糞だな。

既出の事ばっかり書いてあるし
著者がサリンジャーの作品をすごいトンデモな読み方してるし。

でもサリンジャー関係の本すべて揃えようとしている
サリンジャー産業にどっぷりな自分が悲しい

295 :吾輩は名無しである:03/11/16 03:03
それって、伝記といいつつ、解釈本なんだろね

296 :吾輩は名無しである:03/11/21 11:57
前スレ読んでないんだけど初期短編集は語りつくされたのかな。
最近電車でブルーメロディ読んで危うく泣きそうになっちまったい。

297 :吾輩は名無しである:03/11/28 19:47
ねえ、おはなししましょう
あたし、さびしい

298 :吾輩は名無しである:03/11/28 20:08
原書難しいですか?

299 :吾輩は名無しである:03/11/28 20:17
>>294 "サリンジャー産業" 

的確な表現だ。


300 :吾輩は名無しである:03/11/28 20:40
>>299
古い言葉だよ。サリンジャー産業。

301 :296:03/11/29 13:31
おっ、やっと反応あったと思ったら無視か。
ライ麦読んで、グラース家読んで、もういいやって人に
初期短編集薦めるんだけど、いかがでしょう?

302 :pont nord:03/11/30 00:18
「ホールデンに体現される『差異の超越』というテーマ〜〜360度、回りすぎた天才、ホールデン」

「ホールデンってバカ?ガキ?(A)」
・不注意
・場当たり的行動
・落ち着きなし
・ギャングのまね
・ゆ、雪合戦・・・
などなど、数え上げればキリなし・・・

「でも、ホールデンってほんとは頭いい?(B)」
・成績も悪くはないストラドレーターに、少なくとも口げんかでは負けてない
 (しかし、ワンパンチでKO・・・)
・秀才カール・ルースさえをも身構えさせる論客?少なくともお笑い対決では負けてない
 (しかし、ある意味相手にされてない・・・)
・子供みたいな口のきき方ながらも、実は「作文」に関してはいつもA
 (冒頭のスペンサー先生に「これが論文かね?」と怒られてしまう、古代エジプト文明に関する短文も、児童向け読み物の受け売りとも言えるけど、それにしても文章としてはよく出来ている、と感心したのは僕だけ?)
・実はさりげなく、亡くなった天才少年アリーとも、難しい議論をしたりしてた?
・「武器よさらば」、「イエスとユダ」など、世の中の様々な物事に対して、かなりしっかりとした、独自の意見、主張を持っている

AとBが並存する人格=半分白髪(=時に大人、時に子供)
Aを維持しながらB(or Bを維持しながらA)=差異の超越=サリンジャーの求めるテーマ?

AとBが並存って、現実にはあり得ないと思う人が多いかも知れないけど、
この世の嘘や欺瞞に、天才少年のBは、Aで立ち向かった、とは思えんかな?

というのも、ホールデンの「Aであるあり方」って、
テディーの言う、
「真理を悟るために、自らの中から、あらゆるリンゴ(ロジック)を吐き出す」
という行為と、なんか似てない?

ホールデンは、天才少年テディーの真理を体現する、やっぱり天才?

303 :pont nord:03/11/30 01:03
>301
「最後の休暇の最後の日」

昔読んだときは図書館で借りて大急ぎで読んだから、よく覚えてなかったんだけど、今年になって数年ぶりに読み直して、「めちゃくちゃいい小説じゃん」と再発見した
ひょっとして、ヘミングウェイが絶賛したのって、この小説が原因か?とか思った(戦時中だし)
でも、これって「初期」短編には当てはまらないのかな?

サリンジャーという人間を考える上でも興味深いし、ホールデンの人物設定を考える上でも、重要だと思える
兄のヴィンセントのホールデン評の仕方がすごく独特で、僕などは共感する
そして、例によって、ヴィンセントは相当な手練のお笑い戦士・・・
でも、痛々しいくらい落ち着いていて、ブラックなジョークにはちょっと厭世的な陰が・・・
どこか、ゾーイに似てる・・・とか思わん?

僕が好きな場面は、いよいよ最前線の戦地に赴くことを打ち明けるときになって、最後の最後に母親が
「(私は心配してない。)きっとあなたは大丈夫、そんな気がするの」
というところ
気休めに言ってるのではなく、彼女は第六感で本当にそう感じてたのだと、僕には思える

原書で読みたいんだけど、そのためには作家自身の早逝を願わねばならぬという罠(笑)不謹慎スマソ(笑)

>298
原書で一番読み易いのは「ライ麦〜」だと思う
けど、文学の原書読みって、国際結婚と一緒で、相手の文化を知ろうとする努力が必要だと思う
川崎麻世さんの語った、国際結婚成功の秘訣、

「give and takeではなくてgive and giveの精神」

が、同じように当てはまると思う
大変なものなんだろね

304 :吾輩は名無しである:03/11/30 01:57
>>302
わたしはホールデンはすごいと思う。彼の語ることは回りとうまくやって
いけないことばかりなんだけれど、それを読むとホールデンって、やれやれ
って、思うのだけれど。
彼はそういう葛藤場面(フラストレーションを感じる場面)を驚くほど
正確に描写してみせる。どんな精神分析医より正確に。そういうことは
並の人間にも、並の作家にもできることではない。
ボケボケしたホールデンが一瞬のうちに最上級の精神分析医に変身する
時、サリンジャーの凄みを感じて、「ただものではない」と思います。
この感覚をpont nordさんは天才と表現されているのでしょうか?

305 :301:03/11/30 15:10
>>303 いいよね、それ。妹への語りかけはライ麦より優れていると思う。
俺のサリランキング。
1.ブルー・メロディー
2.イレーヌ
3.ライ麦
次点.マヨネーズ抜きのサンドイッチ、最後の休暇の最後の日
2本のショートショートは閉口ものだけど。

306 :吾輩は名無しである:03/12/01 14:14
「ライ麦畑でつかまえてについてもう何も言いたくない」
読まれた方、どうでした?なるほど!って唸るような本ですか?
このスレ見て興味を持ち、野崎訳→村上訳と一気に読みました。

307 :吾輩は名無しである:03/12/01 15:43
>>303
>川崎麻世さんの語った、国際結婚成功の秘訣、

成功してないと思いますが・・・

308 :吾輩は名無しである:03/12/04 22:01
サリンジャーの娘が「我が父サリンジャー」(だっけ?)出したじゃん。
あれって、読んだ人いる?どんなこと書かれてんの?

309 :吾輩は名無しである:03/12/06 22:28
>>302
>古代エジプト文明に関する短文も、児童向け読み物の受け売りとも言えるけど、
>それにしても文章としてはよく出来ている、と感心したのは僕だけ?

これって、ホールデンが子供のとき通った博物館の説明の受け売りなのでは?
同じこと博物館で2人の子供に語ってるじゃん。
つまりスペ先生の授業からは何も得ていないってこと、だと思ってたよ。

310 :pont nord:03/12/07 22:49
>303
えっ!離婚してたっけ!
って、本質的にどうでもいい話、驚いてゴメソ・・・

>305=301さん
>いいよね、それ。妹への語りかけはライ麦より優れていると思う。
白サリンジャー、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
って、感じだよね(笑)

>309
>これって、ホールデンが子供のとき通った博物館の説明の受け売りなのでは?
>同じこと博物館で2人の子供に語ってるじゃん。
ふん、ふん。なるほど

>つまりスペ先生の授業からは何も得ていないってこと、だと思ってたよ。
う〜ん、語弊があるのかも知れないけど、「何も得ていない」と言っちゃうと、これまた違う気がするんだよね・・・
ま、309さんも「まったく何も得ていない」とは思ってないのかも知れないけど、それについて、「天才」としての観察力や感受性の強さについて、僕の自論の「ホールデンは天才」説を絡めて、ちょっと詳しく書きますね


311 :pont nord:03/12/07 22:59
「『ホールデンは天才』説 その1〜反抗的態度の裏に隠された、人間観察、精神分析、培われた独自の論理、哲学」

ホールデンって、
・「脱線!」の授業に対しても、嫌いだから、ただ無視するんじゃなくて、授業の可否やあり方について、ちゃんと考えてるように思える
・その人のことを好きであるか否かに捉われない、克明な人間観察から察するに、「人間」という存在に対して、非常に強い関心を持っているように思える
・したがって、面白くない顔をしながらも、「人間観察」という見地から、実は授業は聞いてたんじゃなかろか

だから、「何も得てない」ってことは、ことホールデン君に関してはないように思う
独自の価値観で授業から得るものを「取捨選択」して、しかも、実は改善方法まで考えてたんではないかな?

したがって、
・「2時間続けて嘘をつきまくれる」と豪語するホールデン君にすれば、エジプトについて、適当にそれっぽいレポートをその場しのぎで書くくらい、実は造作ないこと?
・書けなかったのではなく、書かなかった、実は密かに、無意識的な意思表明?
・エジプトについては、(歴史や地理、年号なんかより)「ミイラの神秘」について語ることの方が、よほど「重要」だと、本気で感じていたのではないか?
・博物館で子供たちにミイラについて話したのは、「ミイラの神秘について思いを馳せる」ことの、重要性を「子供たち」に訴えたかったから?

もし上の通りだとすれば、こういう価値観の持ち方って、僕には「天才」っぽいと思える
大げさに言えば、これって彼の教育論?人生論?とか思ったりして・・・言いすぎ?(笑)
で、

つづく

312 :pont nord:03/12/07 23:00
つづき

「天才」という言葉の定義について

>304
>ボケボケしたホールデンが一瞬のうちに最上級の精神分析医に変身する時〜「ただものではない」と思います
>この感覚をpont nordさんは天才と表現されているのでしょうか?
僕は、カール・ルースが「秀才」であることと対照的に、ホールデンに対して「天才」という言葉を当てているつもりです
(カールの言動からするに、彼もホールは「本当は頭がいい」と考えているように思える)
304さんの指摘する「最上級の精神分析医」って、ファンのみんなが感じてることだと思うけど、
それは、「確かな観察力」に根ざしているはずで、その「観察力」は彼の(人に対する)「強い好奇心」が生み出したものだと僕は思う
生まれ持った才能だとすれば、それはむしろ「観察力」ではなく、「好奇心」の方だと思うんだけど

したがって、僕の言う「天才」ってのは、
「その『最上級の精神分析医』になるには、単に”秀才”であるだけでなく、”天才的な好奇心”が必要」
ってことになるのかな?

313 :吾輩は名無しである:03/12/08 00:12
>>310
ごめん、白サリンジャーの意味が分からない

314 :309:03/12/10 00:24
言葉足りなかったようだけど「まったく何も得ていない」というのは
「エジプトに関してスペ先生の授業からはほとんど何も得てない」の意です。

僕の意見は博物館で子供に話したミイラの話はホールデンの創作ではなく
ホールデンが子供のときに引率の先生から聞かされた話の受け売りというか
思い出的ノスタルジーというか。ミイラは「ずっと変わらないもの」の象徴なわけで。
スペ先生の授業を真面目に受けなかったのは、
博物館の思い出を高校の授業の知識で上書きしたくなかったとか?

ホールデン天才説は面白いと思う。でもJDS的には天才はシーモアなのでは?
ホールデンはJDS自身かな、等身大の。いや違うか・・・

『最上級の精神分析医』という表現はもののたとえとしても、
JDS的にはあまり褒め言葉にならない気が・・・なんか毛嫌いしてるよね。
あえて言うなら「天性の精神分析医」いや「作家」いや「役者」かな。
役者ってのも人間心理に並ならぬ感性持ってるらしいし。
で、持論ではホールデンはなんだかんだ言って役者への道を歩むのです。
つまりゾーイやフラニーのように。

315 :309:03/12/14 00:19
ポンさん真似て自論をおしすすめてみまつ

ホールデンの役者への道

ホールデンに役者としての才能があることは、
・ストラドレイターの前でのタップダンスの真似事。
・ゴルフ映画への出演オファー。
あたりから伺える。強引に言えば、
・アクリーの前での盲目の真似事
・モーリスにKOされた後の、腹に弾丸が入った一人芝居
もそうと言える。

ホールデンは(インチキな)映画や役者を毛嫌いしてるけど、
それも彼に非凡な才能ががあってこそだと思えるのです。
これはまさにフラニーが抱えた葛藤と同種のものであって、
それは恐らくゾーイも一度は抱えた問題でもあっただろうと思うのです。
フラニーとゾーイはいろんな意味でライ麦のアナザ・ストーリーと考えると、
ホールデンもフラニーのように神のために芝居をすることになるだろうと思うのです。

だから何?って言われるとそれまでだけど、
「ライ麦〜」を読んだ一部の読者にホールデンは死んじゃうのかな〜と思う人が
いるみたいなので、こうゆう解釈もあるよ、ということを示しておきます。

316 :吾輩は名無しである:03/12/18 07:00
スペンサー先生が鼻をつまんでるだけのふりして実は親指で
鼻をほじくってると見破ったのには爆笑した。

317 :pont nord:03/12/21 02:25
>315=309さん
>ホールデンの役者への道
ホールデンを役者として見てみることなんて、今まで一度も考えたことなかったけど、グラース・サーガまで横断的に解釈すれば・・・

しかも、僕の自論「ホールデン≒サリンジャー」によれば・・・
   @{サリンジャー=子供主演俳優賞受賞
   A{ホールデン≒サリンジャー
@+A{ホールデン≒演劇賞受賞?

って、僕の中でも成り立つじゃん!ということに気づかされたよ(笑)

まあ、話の内容から考えれば、芸術家になるのだとすれば、物書きになるのが妥当だと思うけど、
309さんが列挙した特徴なんかを見てると、俳優になれば、結構いいかも?とか、思わせるよね
問題は、落ち着きがなくて、集中力が持続しないってことか(笑)

>313
気にしないで下さい・・・
僕のお笑い打率なんて、所詮・・・


318 :吾輩は名無しである:03/12/21 12:51
『愛らしき口元目は緑』に、「・・おれが結婚した相手はだ、現存する最も偉大な
未修練未発見の女優で小説家で精神分析医で、加うるにニューヨークではいまだ
認められざるナンデモゴザレの著名人にしてかつ天才というごじんだ。・・」
というセリフもあるので、JDSの価値観では役者も超OKな職業なんでしょうね。

話は変わりますが、題名のつけかたのセンスがとてもいいですね。
『愛らしき・・』の前のお話の『エズミに捧ぐ』では、エズミの弟がとても
すばらしい緑色の目をしているということが書いてありました。それに引き続いて
のこの題名なのでしょうが、実際にはここにでてくる女性は青い目をしています。
そして、続くのが『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』。
はずしながらはずしながら続けていくのは、大変テクニックが必要なのではないかな。
ほんとうにJDSって、おもしろい人ですね。

319 :吾輩は名無しである:03/12/21 13:19
>はずしながらはずしながら続けていくのは
ハゲドウ
計算されてる短編集だと思う。

320 :mm:03/12/24 23:57
エズメ OR エズミ?

最近こんな疑問にぶち当たった。
For Esme’, with Love and Squalor のESME’は、「エズメ」と呼ぶのが正しい
のではないでしょうか? 野沢孝の「エズミに捧ぐ」でいいのだろうか・・・??


321 :吾輩は名無しである:03/12/31 18:29
>>320
リーダーズ+プラスには「エスメ」「エズミ」の2つの発音が
載ってる。

あとググってたらマイケル・J・フォックスにEsmeという娘
がいるという、どうでもいい豆知識を得たよ。

322 :吾輩は名無しである:04/01/01 05:06
原題はEsmeの最後のeの上に線が引いてあるのだが、
こういうときはエズメと読むのだと思ふ。

323 :吾輩は名無しである:04/01/05 01:12
初めまして
最近ライ麦畑を読んだものです
それで色々調べたいと思ったんでみなさんんお意見お聞かせください
ホールデンとサリンジャーって共通点とかってあるんですか?
サリンジャーについて調べてみたのですがあまり調べられなかったのでそれについてもお教えください
最後に質問多くなりますがジョンレノンやレイガン殺害犯がこの本を捕まった当時もっていたようなのですがそれって何か関係あるんですか?
この本が殺害犯にお及ぼした影響や共通点等これも意見お聞かせ願います

長くなってスイマセン
少しずつでもいいんでよかったらお願いしますね^^

324 :吾輩は名無しである:04/01/05 01:25
> ホールデンとサリンジャーって共通点とかってあるんですか?
作者としては作中人物に自分の考えをある程度反映させるのは当然でしょう。そのままイコールと考えるのは危険ですが。

> ジョンレノンやレイガン殺害犯がこの本を捕まった当時もっていたようなのですがそれって何か関係あるんですか?
持ってたからには影響受けたんでしょう。本人でない限りこれ以上のことはわからないと思いますよ。

325 :吾輩は名無しである:04/01/05 01:34
>>324
レスありがとうございます
やはりそこそこ昔の作品ですし真実を知るのは難しいいんですかね
結構調べてみているんですがやっぱ真実はでてこないです
もしよかったらあなたの考えだけでもお聞かせ願えませんか?
こういう色んな方の意見を聞かせていただくのもサリンジャーを知る上で大切なことだと思います!^^


326 :吾輩は名無しである:04/01/05 01:36
>>325
いくら調べても真実なんか出てこねーよ
いくばくかの事実は手に入るかもしらんがな

327 :吾輩は名無しである:04/01/05 01:39
>>326
今その少しの事実をがんばって探してます^^
ひとつなにかにはまるとひたすら調べちゃうような正確なんですよね
やっぱこの文章面白いです^^

328 :吾輩は名無しである:04/01/05 02:32
真実なんてわかるわけないよね

329 :吾輩は名無しである:04/01/05 08:19
>>323
サリンジャーの他の作品は読んだのかい?

330 :吾輩は名無しである:04/01/05 11:26
>>322
なるほど。エズメなんですねぇ。

エズミ=江角。ヨショト=吉本。なんて言葉遊びしていたのですが・・
エズメはイギリス人ですものね。

331 :吾輩は名無しである:04/01/05 23:15
>>329
まだ読んでないです
これから読もうと思うんですけどね〜
やっぱ初めはナインストーリーズあたり読んでみるのが妥当でしょうか
あとサリンジャーのこと調べてみたんですけど色々と謎の多い作家なんですね
有名なのに驚きでした

332 :吾輩は名無しである:04/01/06 00:24
文庫になってる3冊は必読だよ。
順番はナイン〜からで。
色々調べるのはそれら読んで、
このスレと前スレ読んでからでいいと思うよ。

333 :吾輩は名無しである:04/01/07 11:07
>>332
じゃまずその三冊読んでみますね
それから出直してきま〜す^^

334 :吾輩は名無しである:04/01/12 02:38
前々から思ってたんだけど、
サリンジャーとつげ義春って作品の雰囲気似てない?

335 :吾輩は名無しである:04/01/13 02:41
たった今、明後日提出の課題として読んだキャッチャー〜(春木訳)読み終わった。
さて、レポート書くか!と思ったが
その前に文芸板でなんとなくサワリを掴もうと来てみて玉砕ですよ・・・
おまえら頭いいですね・・・
俺なんて「・・・は〜だと思った。」とかそんな文ばっかの頭悪いレポートしか書いたことねぇよ・・・
切り出し方もわからねぇよ・・・
は〜・・・がんがるしかないな・・・

336 :吾輩は名無しである:04/01/13 15:10
>>335
高校生?

337 :335:04/01/13 21:47
高校生だよ、頭悪くてスマソ

338 :吾輩は名無しである:04/01/13 23:19
>>334
どういった所がにていますか?
サリンジャーは「不条理」を書いているのではないと思うけど・・
わたしはサリンジャーは以前だれかがどこかに書いていたように
案外、直球勝負の作家だと思うよ。読者に説明をしてくれない作家だけどねw

339 :336:04/01/13 23:50
>>337
いや、謝らせるつもりは全然ないんだけどさ。がんばれ。

340 :吾輩は名無しである:04/01/13 23:52
>>338
そう、まさにそれ!
つげ義春も不条理を書いているのではないと思うのですよ。
読者に説明をしてくれないところも共通点かな。
もちろん国も時代も違うので質感はだいぶ違うけど、
読み終わったときの余韻が自分には近いものに感じるのですよ。

341 :吾輩は名無しである:04/01/14 20:22
サリンジャーは自分の禅やら東洋思想やらの拙い知識を
ひけらかしてるだけだよ。

342 :吾輩は名無しである:04/01/14 23:05
ひけらかしているとは思わないが、浅薄な知識であることはその通り
だと思う。
ゾーイは気取りが暴かれるのを喜ぶ人間だ、たとえその気取りが自分
のものであるとしても、というような記述があったと思うが、そのよ
うな意味で、あれはサリンジャーの「気取り」じゃないのかな。

343 :吾輩は名無しである:04/01/14 23:23
サリンジャーはシーモアを
あらゆる知識にも精通した完璧な人間に
仕立て上げようとして
結果としてシーモアの人間性を失わせることになった。
自分の理想の姿なのかもしれないが
しだいに現実離れして人間ではなく
神のような存在になった。

344 :吾輩は名無しである:04/01/14 23:44
それも狙いだと思うよ。

345 :吾輩は名無しである:04/01/14 23:55
グラス家とコールフィールド家では
若くして死んだ天才詩人アリー=シーモア、
職業作家のDB=バディなわけだが

理想の姿と現実の姿、なのか??

346 :吾輩は名無しである:04/01/15 10:28
サリンジャーはシーモアを完璧にしなかったじゃねーか。
繊細すぎるし、詩のあり方について最後まで明確な解答を手に入れられなかったし、
最終的には自殺したし。
完璧な人間と言えばテディだけだろ。

347 :吾輩は名無しである:04/01/16 00:00
サリンジャーの東洋思想は本家のわたしたちから見れば、拙く浅薄に見える
かもしれないけれど、その知識が嘘、捏造でない所がすごい所だと思う。
このことは地味なことかもしれないけれど、異文化について書かれ本には
おっとびっくりの箇所が満載なのはよく知られる所。また悪意をもって、
或いはウケねらいで、他の文化を貶めるようなことを平気で書く人たちもいる。
書くことが正確というのは、案外作家として、稀有なことなんだろうかな。
この正確に書けるという才能も、わたしの思うサリンジャーの魅力です。

348 :吾輩は名無しである:04/01/16 00:41
完璧な人間なんて(ry

349 :吾輩は名無しである:04/01/18 04:22
サリンジャーって、入れ込みすぎて、自己を作中人物に投影してしまうようなことはなく、
実際は作品に対して、客観的な距離を保ててた人なんだと思う

自己のヒロイズムを満たしているというよりは、発言責任を取っているように思える
自分に対しても、作中の天才たちに対しても、常に批判的というか、むしろ自虐的な姿勢を感じる

サリンジャーの東洋思想やなんかって、浅薄かなぁ?
西洋から見れば、日本の仏教なんて亜種だし、インテリアメリカ人の禅への関心や浸透度は、一般的な日本人のそれより高いと思う(むしろ独自の進化を遂げたというか)

彼がその他の東洋オタクと違うのは、個々の宗教や思想に埋没してしまうことなく、
キリスト教を初め、その他様々な宗教概念を統合的に吟味しながら、
「独自の宗教的価値観」を作り上げていることだと思う

作中人物が無宗派であり、キリスト教徒ですらないことにも表れているように、
サリンジャーって、宗教的に見ても、世界の中で孤立してしまっていると感じる

350 :吾輩は名無しである:04/01/18 21:14
なんて言っていいのか・・・
JDSの作品において、宗教観って本題ではないんだよね。
F&Zだって家族愛の話ってことになってるし。

いやだからどーだとかじゃないんだけど・・・

351 :吾輩は名無しである:04/01/19 00:22
JDSの作品において、東洋思想って、本当のことを話してくれない彼の
生の気持ちがもろに出ていたりするのではないかしら?彼は東洋思想のベール
にくるんでいるつもりなのだろうけれど。
伯楽に関係して、韓愈の千里の馬と伯楽のお話もJDSの頭のなかにきっと
あったに違いないと思うと彼は違いに相手を生かす出会いを・・伯楽と
千里の馬のような・・経験しているのではないかなと思えてくる。どこかで
サリンジャーはふたりいたというような話も聞いたことがあるような。東洋思想
は案外JDSを解くカギかもしれないと思ってみたりしますw


352 :吾輩は名無しである:04/01/19 00:28
バナナフィッシュにうってつけの日>>>>>>>>>バナナフィッシュに最適の日

353 :吾輩は名無しである:04/01/19 00:41
東洋思想つーとなんか大仰だが、
要は東洋的な奥ゆかしさみたいなもんかな。
「エスキモー〜」あたりにもそうゆうの感じる。
ヘミングウェイのハードボイルドとは一味違うというか。

つげの「無能の人」でも和鳥の奥ゆかしさについて、
語ってるくだりがあったような。

354 :吾輩は名無しである:04/01/19 00:46
東洋思想・・のひとつは、日本でいうところの漢文かもしれません。
昔の中国の人の考えです。

355 :吾輩は名無しである:04/01/19 00:51
>>>>>>>>>バナナ魚日和

356 :吾輩は名無しである:04/01/25 01:34
禅ともつながりのある道教の思想かな。

357 :pont nord:04/02/01 03:27
>352、>355
同感
野崎氏のタイトルの翻訳のセンスって、
サリンジャーが国内でお洒落アイテム扱いされることに、一役買ってると思う
原文のタイトルもお洒落な感じなので、なかなか忠実な翻訳だと思うけど?

と、言いながら、野崎氏の翻訳についてちょっと・・・

『テディ』
「すべてが神だと知って、髪の毛が逆立ったりなんかしたのは六つのとき。〜」
 (p280、新潮文庫「ナイン・ストーリーズ」)
"I was six when I saw that everything was God,and my hair stood up,and all that,"〜
 (p248、講談社英語文庫"NINE STORIES")

この部分の、「my hair stood up」って、意味的には日本語で言うところの「鳥肌が立った(肌が粟立つ、サブイボ)」ってことで、
ここで言う"hair"ってのを、広義の体毛ではなく、髪の毛に限定するのってまずくない?

というのも、これに気づくまで、僕はずっとこの部分を読むたびに、
テディの髪の毛がドリフ(8時だよ!全員集合!)の爆破オチの時のように、”エクソシスト”チックに、実際に逆立っている姿を想像して読んでいた・・・(笑)

うろ覚えだが、「鳥肌が立つ」と同じような意味の英語の慣用句で「首の後ろの毛が立つ」とかいうのがあったように思うし、
普通は髪の毛が逆立つと聞いて、下敷き使ったみたいに、ほんとに逆立つとは想像せんだろが(笑)、
とくに、60年代から70年代にかけてのホラー(映画)ブームを経験した連中は、
僕と同じようにファンタスティックなシーンを想像しなかった?(笑)

というわけで、「鳥肌が立つ」と置き換えることによって、「目からウロコ」の人、他にいない?
(ドリフ世代のオレだけか?いやいや、そんなことはないはず・・・)

358 :吾輩は名無しである:04/02/02 01:34
自分は「髪の毛が逆立つ」でニュアンス受け取れたけどな〜。

意訳もいいけど、ある程度原文のイメージも残して欲しいって気もする。
ライ麦春樹訳も意訳の置き換えが多くて、
http://book.2ch.net/book/kako/1038/10383/1038320047.html
で例えばmoronを田舎者と訳されてるのが違和感あると指摘されてた。

個人的にはそうゆうのって過剰サービスつーか
読者をナメてるように思えて歯がゆかったりする。

つーわけで「身の毛がよだつ」でどうかな・・・・ちょっと意味違うか??

359 :吾輩は名無しである:04/02/02 05:19
どうでもいいよそんなことは…

360 :吾輩は名無しである:04/02/11 22:47
今日「クリーン、シェーブン」という映画をみて
何故か、その映画の主人公=シーモア=サリンジャー
という連想をした。

361 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

362 :吾輩は名無しである:04/02/19 13:19
失礼します。サリンジャースレがここし(ry

大工、シーモア、ハプワース、をこれから読もうと思ってます。
どの訳がオススメだと思いますか?
いろいろあるんで、どれが良いんだか、、、

参考URL(どれもいくつか情報が落っこちてます。脳内補完・・・)
ttp://www.sophistic.org/book1.html
ttp://www.sophistic.org/booksub/translator.html
ttp://www.nagasaki-gaigo.ac.jp/ishikawa/amlit/s/jp/salinger21_j.htm

ちなみにNine Storiesは中川訳、Franny and Zooeyは 野崎訳
(ライ麦も当然の如く野崎訳)で読みましたが、
とくに理由はないです(図書室にあったのがたまたまこうだったんで)。

363 :吾輩は名無しである:04/02/22 00:25
test

364 :吾輩は名無しである:04/02/24 21:58
今読んでるところ。

365 :吾輩は名無しである:04/03/10 19:20
さりんじゃーしんでくれないかな(ぼそ

366 :吾輩は名無しである:04/03/10 19:28
「 ナインストーリーズ 」

これ、まったくわからん。
何も考えずにただ字を追って読み薦めれば単純。
でもちょっと考えると物語に登場するすべてがわからない。
謎だらけ。
「むかしむかしあるところに・・・・めでたしめでたし。」みたいな
昔話を読まされているようで、その桃太郎が桃から生まれたというのはわかったが、
そんな大きな桃なんて現実に存在しないし桃から人が生まれるわけはないから、
その大きな桃やそこから人が生まれることに何の意味があるのか?
桃太郎は鬼退治にいくというが、何のために鬼退治にいくのか?
おじいさんとおばあさんに育てられる過程から鬼退治することを決意するまでの間に
桃太郎に、桃太郎の育った家に、村に、何があったのか?鬼は人に何をしたのか?
キジと猿と犬が桃太郎の仲間になったのはわかったが、
そのキジと猿と犬という仲間は何を意味するのか?
何のためにキジと猿と犬の助けが必要だったのか?
・・・・・・
こういう疑問が、JDサリンジャー「ナインストーリーズ」に付きまとう。

まったくもって、わけがわからん。
そういえば、桃太郎も舌切り雀も、本当の意味やメッセージが分からん俺だった。

367 :吾輩は名無しである:04/03/10 19:54
>>366
>>328

368 :吾輩は名無しである:04/03/10 22:07
耳の奥からピーという電子音がきこえる。

369 :pont nord:04/03/13 23:20
「『ホールデンは天才』説 その2〜実は硬直的でも、閉塞的でもなく、子供っぽい独りよがりなどではない、ホールデンの審美眼」

「兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ」(p263、白水Uブックス(以下同書))
このフィービーの発言に端的に表されるように、

・一見するとホールデンは自分以外のもの(価値観)を何もかも否定してるように見える
けど、

【命題】
彼の持つ厭世的な、世の中の様々なものに対する否定的な価値観は、
自己中心的で浅はかな、思春期の若者にありがちな全否定とは違い、
実は考えられた、繊細な、独自の審美眼による、熟慮の末の否定だと言えるのではないか?

例1:I・ディーニセンの「アフリカ便り」

 a)「いやらしい本だろうと思ったが、そうじゃなかったな。とてもいい本だよ」(p31)

  いやらしい本だろうと思った・・・・・・・・・・・・・厭世観による全否定=偏見を
  そうじゃなかったな。とてもいい本だよ・・・躊躇や留保は一切なしで、180度改めることが出来ている
   =実は開かれた心、開かれた価値観の持ち主?

 b)「もう前に読みあげていたんだけど、所々をもういっぺん読み返したくなったんだよ」(p32)

  所々を〜読み返したくなった・・・受動的で漠然とした価値肯定(流し読み)ではなく、能動的で詳細な肯定(精読)
   =単純なイエス、ノーではない、複雑な審美眼の表れ?

つづく

370 :pont nord:04/03/13 23:23
つづき

例2:L・オリヴィエの「ハムレット」

 a)「僕もたまんなく見たくなったんだ。〜勇ましい将軍みたいだった」(p182)
  ・オリヴィエを全否定するのではなく、
  ・姿や立ち居振る舞いなどは認めつつも、
  ・内面的な演技について意見 
   =単純な全肯定や全否定はせず、一つの対象に相反する両方の価値を認める、詳細かつ公平な審美眼

 b)p182〜p183の演劇論、役者のあり方
  =長くなるのでまたの機会に(笑)
    あのインテリ大学生のフラニーが悩んでいた「エゴ」と同じことを、まだ16歳なのに、この時、既に語ってる!

 c)「自分で読まないとだめなんだな。〜
   いまにインチキなことをやりやしないかと、そいつが気になって仕方がないんだよ」(p183)
  ・既存の価値観にとらわれない、独自の審美眼はもちろん、
  ・個人の思い込みにとらわれず、原典参照を至上とする、謙虚な批判姿勢? 

【結論】
16歳にしては、天才的といえるほど、開かれた、謙虚な価値観、審美眼を持っていると、言えるのでは・・・



371 :pont nord:04/03/13 23:34
【前回の補足】
>>357=「髪の毛が逆立つ」と「鳥肌が立つ」との違い

前者
ファンタスティック=非現実(現代の大人のための童話?)=春樹的?
(実際の春樹は、非現実な物語を、現実的な小道具や生理描写で描くという倒錯があると思うけど
 ま、これは僕の勝手な考えなので、あまり深く追求せずに・・・)

後者
卑俗=現実的(社会派)=これこそ、サリンジャー!

要は、僕がしつこく拘っている、「サリンジャーは春樹とは違うぞ!」ってことを自己確認して大騒ぎしてただけでした・・(笑)



372 :pont nord:04/03/13 23:59
うっ・・・さらに連投ゴメソ

>>369
ホールデンのセリフ
「いやらしい本だろうと思ったが、〜」

なんだけど、
『なぜ、ホールデンがその本を、初めに「いやらしい」と思ったか(思ってたか)』
って、わかる?

オリヴィエについての、「インチキな〜」ってのも一緒だと思うんだけど、
この気持ち(価値観)を共感できるか出来ないかで、ライ麦を理解できるか出来ないか、
というか、「読み方」が全然変わってしまうのではないかな?
(ホールデンを肯定するのか、否定するのか)

小説の中にはなんの補足説明もないのだけど、ライ麦を理解するためには、
ここは実は重要で、読み飛ばさずに、その理由についてじっくり考え、理解する必要があるんじゃないかと
僕の考えによれば、これって、ホールがじっくり考えた末の価値観だと思うんだよね
(上に書いたのは、それの逆説証明)

逆にホールデンに共感できる人ってのは、こういうところでアンテナがピンピン反応するんだと思うんだけど・・・

普通の作家なら、読者に訴え、鑑賞してもらうために、丁寧に構築して表現する、
主人公の人物設定の重要な部分であると思うんだけど、
にもかかわらず、サリンジャーは何の説明もしない
こういうのが異様に多いと思う
結果的に>>366にもあるように、非常にわかりにくいよね

それはなぜか?
ってのは、次回ということで・・・(笑)

373 :吾輩は名無しである:04/03/14 16:25
長文は全部飛ばしてる

374 :吾輩は名無しである:04/03/15 10:55
英語版と日本語版ぜんぜん違うのな。
英語で読んで目から鱗だったよ。
春樹訳は悪くはないんだけれど、だいたいにおいてこの人は小説家だし、
しかも超一流と来てる。これは忠実な翻訳という観点だけでみると、あまり良くないことなのかもしれない。
うん、日本語訳は、はっきりいって原文よりいい。


375 :吾輩は名無しである:04/03/15 14:38
村上春樹が一流の小説家だとはとても思えない。

376 :ファロスマン ◆FTa/HQEoL2 :04/03/23 18:39
鯖移転にともない、スレのならびが不規則になったようで、このスレが下から50に入っています。
たぶん大丈夫だとは思いますが、念のため、あげておきます。


377 :吾輩は名無しである:04/04/02 13:22
ageれ

378 :吾輩は名無しである:04/04/12 23:03
対エスキモー戦争の前夜がすごく印象に残っている。

自分で思っているのの半分も美人だったらまあ運がいいほうだな

なかなか気の利いた答えだと思った

これ好き

379 :吾輩は名無しである:04/04/12 23:09
>>378
自分もその一文を読んでおおーと思ったけど、日本で言ったらかなり変かもねw

380 :吾輩は名無しである:04/04/14 18:27
みなさん、失礼します。どうぞ、お力をお貸しください。
現在提出されている著作権法の改正案によって、2005年の1月から輸入盤CDが買えなくなってしまうかもしれません。
詳しくは以下のページをご覧ください。どうぞよろしくお願いします。

海外盤CD輸入禁止に反対する
http://sound.jp/stop-rev-crlaw/

この法案には東浩紀さんや山形浩生さん、萩原健太さんも反対を表明されています。
http://www.hirokiazuma.com/archives/000074.html
http://be.asahi.com/20040410/W12/0025.html
http://www.st.rim.or.jp/%7Ekenta/


381 :吾輩は名無しである:04/04/17 20:28
ageついでに一言。

>>373
こんなにまったりしたスレの長文を読み飛ばしてどうするw
自分はサリンジャーに対しての意見が見たくてここにきてるから
どんな書き込みだろうと楽しくみさせてもらってる。

最近1969年に出版されたサリンジャーのなんちゃらとかいう本を
読んだけど、結構面白かったyp(・ε・)

382 :吾輩は名無しである:04/04/17 21:49
半角カナや顔文字を使う文章も飛ばしてます。

383 :吾輩は名無しである:04/04/23 00:30
テディが好き

384 :pont nord:04/04/24 02:21
『コメディー作家、J.D.サリンジャー、ここにあり』

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」が、明確に意図されたユーモア小説である
とは以前から言ってたけど、その前の「愛らしき口もと目は緑」も、
実はこれ、狙って書かれた喜劇なんではないだろか?

ただ両者はユーモア小説として、趣が随分異なると思う

「ド・ドーミエ〜」
 内容   =ドタバタ喜劇で、ギャグ。カートゥーンアニメ風。
 終わり方=コメディとしては王道で、毒の無い、完璧なハッピーエンド
 (アニメの「ドラえもん」や「サザエさん」のエンディングカットを思い出してしまう…)

「愛らしき〜」
 内容   =抽象名詞で語られる主人公達。物語の前後の状況説明もなし
        裁判、忍耐を強いる人間関係、不倫、明かりを落としたベッドサイドランプ・・・など、
        落ち着いた筋立ての中で構築される、”繰り返し”の笑い
        (落ち着いたと思ったら、アーサー逆ギレ、ドーン!)
 終わり方=アーサーの真意は?隣にいる女性はほんとにジョーニー?
        と、なんとも不可思議で考えさせられるエンディング

端的に言って、
・「ド・ドーミエ〜」は動きが大きく、子供向け
・「愛らしき口〜」は動きが少なく、謎めいていて哲学的でもあり、大人向け
のコメディである、と言えなくないかな?



385 :pont nord:04/04/24 03:09
384のつづき

要は
1)自身初の短編集の9編中、2編も(純粋な)コメディにした
2)しかも、相対的にタイプの異なるコメディを用意した

ってこと、つまり、
・サリンジャーはコメディに対する意識が非常に高く、
・しかも、自身のコメディ作家としての幅の広さを、野心的にアピールしている
と思える、ってことなんだけど…

まあ、サリンジャーって、>>378さんなどが指摘するように、どの小説にも、
必ず一つは「明日使える小ネタ」みたいなのを紛れ込ませる人ではあるけどね
(デーブ・スペクター曰く、米国ではこういうのはお金になるらしいです)


で、ここまで読んだところで、上の2編の小説について、
「どこがコメディなんだ?!」
って疑問を感じる人も多いかと思うんだけど、
これらを鑑賞するには、悲しい話ですが、原書読み必須だと思います
少なくとも(僕がいつもマンセーしているにも関わらず)野崎訳では、
これら2編は、まるでチンプンカンプンだろうと思います

さらに悪いことに、僕の印象では、この2編は原書でも、特に難しく、凶悪なくらい読みにくいです(泣)
正直、アメリカ人でも読み辛いと思います
(根性と忍耐と、あと情熱です。それしかないです)

しかし、アメリカでもサリンジャーがコメディ作家として評価されてるなんて話は聞きませんよね?
全ては僕の、「関西人パラノイア」が引き起こした、妄想だったりして…

386 :吾輩は名無しである:04/04/24 15:24
原文は読んでいません、野崎訳からだけの感想ですが、
「ド、ドーミエ〜」は、コメディだと思います。この話はスヌーピーと印象が
個人的には、重なります。スヌーピーが犬なのに、ストーリーの中では鼻の
大きな男の子のように、まったく人間として扱われたり、いろんな有名人物に
なりきってウッドストックと珍演を繰り広げて、最後は犬小屋のてっぺんで
眠っていたりというような、罪のない無邪気なおもしろいお話のようです。

しかし、「愛らしき〜」をコメディというのは・・、そういうふうに感じる方も
いるのだなあと認識を新たにしました。わたしはこれは、痛みの物語だと思います
テーマは、もし彼が人を愛することがなかりせば、彼はこれほど傷つくことも
なかったろうに。ということだと思います。主人公の言葉のひとつひとつは、
まるで深くえぐられた傷口から吹き出る血です。賢明なアーサーは会話の途中に
それに気づきます。アーサーは受話器を隔てて、まさに人の痛みと向かい合って
いるのです。自分も加害者のひとりであるところの。息迫る緊張、すぐれた心理
劇でもあると思います。洒脱な表現が返って、現実感を増していると思います。

387 :吾輩は名無しである:04/04/25 13:39
サリンはきらいよ

388 :吾輩は名無しである:04/05/01 07:52
386ですが 人名まちがってました
訂正     アーサー 誤
       リー   正

389 :吾輩は名無しである:04/05/01 12:38
ユーモアのセンスが多分に表れてるからといって、
コメディと決め付けるのはどうかな?
それじゃ「ライ麦」もコメディかい?
「ド・ドーミエ」はある意味「ライ麦」的な作品だが。
主人公がそれを語るまでの年月に違いがあるわけだが。

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